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富川神社 (北海道〈日高〉日高町富川東)
参拝日 平成30年8月6日(月)
作成日 令和元年7月28日(日) 追記日 令和6年4月2日(火) |
とみかわ じんじゃ
| 〈日高管内〉日高町富川東2-4-8 (北緯42度30分30.85秒 東経142度2分27.44秒)
| 地図:地理院地図 いつもNAVI 参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等
| 北海道神社庁 北海道の神社 大神宮社
| 祭 神
| (由緒欄参照)
| 旧 村社
| 境内にある掲示には次のやうに記されてゐる。
雑 記
| 日高本線富川駅から東南東へ2.0kmのところにある。(日高本線は高波被害のため鵡川以西は運休中。富川駅も代行バスが通ってゐる)
| 社名は「大神宮社」が正式で、通称は富川神社。社頭の社号標には富川神社、拝殿の扁額は大神宮社とある。他に「富川神社 百年記念」碑(昭和五十一年九月二十日奉納)もある。 境内社には稲荷社、地神塔では、四角柱の地神塔(大正十三年三月二十日建立))、大木(御神木?)根元に「山之神」碑があった。記念碑では、「村社五十年 記念碑」(大正十四年九月十五日建立)があった。 鳥居は、昭和三十四年六月 株式会社岩倉組 の奉納。岩倉組は苫小牧市に本拠があり、アイスホッケーチームでなじみがあったが昭和54年に休部したときは、驚きだった(雪印乳業に引継がれたが平成12年廃部、現在は札幌ホッケークラブとして活動)。 白老の塩釜神社社頭に設置の白老町による案内板には「塩竈神社跡」としてゐるのは、当地に遷ったからなのだらうか。 平成18年に門別町と日高町が合併し現日高町となった。当社は元の門別町域に位置してゐる。 門別町は、明治42年に門別村、佐瑠太村(さりふと)、平賀村(びらが)、富仁家村(とにか)、慶能舞村(けのまい)、波恵村(はえ)、菜実村(なみ)、厚別村、賀張村(がばり)を合併して、新たな門別村が成立してゐる。 門別(日高町)・紋別市(オホーツク管内)と同じ発音のため、日高門別(駅名は日高門別駅)と称して区別してゐるが、他に伊達紋別駅(伊達市内の駅名、地名紋鼈(もんべつ)由来)もあり注意が必要。日高町役場のある門別本町は当社から南東へ4.5kmほどの所。 |
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出典・脚注
改訂記録
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