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上美野和神社 (北海道〈日高〉新ひだか町三石美野和)

参拝日 令和元年8月7日(水)
作成日 令和2年9月12日(土)
追記日 令和6年3月18日(月)
よみ  ─  
所在地 〈日高管内〉新ひだか町三石美野和 379 (42度15分14.58秒 142度40分44.86秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
HP等  ─
祭神  八意思兼命
由緒  境内に由緒の掲示は無かった。
 社殿内の文書類によると、
  • 昭和三年に社殿の新築
  • 昭和五十二年、神殿大修理・鳥居新設・植樹(桜二百本・トド松四百本)等が行はれた
  • 昭和五十二年、三石神社の境内社美野和神社となった。
  • 昭和六十年、神具各種奉納あり
  • 昭和六十三年、土地1430平方米の永代無料貸借契約
  • 平成三年、灯籠二対奉納あり
  • 平成四年、鳥居の立替え建立
  • 平成十六年、屋根修復(台風被害のため)
雑記  日高本線本桐駅から東北東へ4.3kmのところにある。(なお、鵡川駅から当駅を経由して終点様似駅までの116kmは平成27年から不通で廃止が濃厚な状況。代行バスが運行されてゐる。)
 新ひだか町役場からは東南東へ29kmとかなり離れてゐる。

 社殿内に置かれてゐる棟札には、「昭和三年九月十六日 八意思兼命 手置帆負命 彦侠知命 棟梁の氏名 建築委員四名の氏名」が記されてゐる。手置帆負命 彦侠知命は上棟式の神とすると、当社の祭神は八意思兼命とみられる。
 新築寄附人の筆頭に「和寒別青年會」がある。当地(谷底平野)を流れる川は和寒別(わかんべつ)川といふ。地名も和寒別だったとしても不思議は無い。正確には、現地の図書館へ行かないと判りそうも無いね。(旭川の北にある和寒町は わっさむ町)
 
 社殿内に掲示してある昭和53年の書類には、美野和神社とあり、同じく美野和開村八十周年記念事業(昭和五十二年参月十五日付)文書には社殿大改修・鳥居新設・桜二百本ととど松四百本の植林等とともに、三石神社境内社美野和神社トナルと記されてゐる
 
 鳥居の柱に「上美野和神社 鳥居立替建立日 平成四年八月二日」とある。神社の名称が変ったのか? と思はされるが、確かなことは判らない。和寒別川が鳧舞川と合流する地点付近には「美野和神社」がある。よって、この文書の題は「上美野和神社」とした。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 遠景
写真1 拡大 (1280×960)

遠景

丘の上に社殿の屋根が見える。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社頭

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

社殿(正面)

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

社殿

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

社殿前から鳥居・百年記念碑を望む

写真6 美野和開拓百年記念碑
写真6 拡大 (1280×960)

美野和開拓百年記念碑  三石町長 太田皆雄書
碑文
美しい野に和やかな郷 明治三十一年先人達が新天地に夢を求めてこの地に鍬をおろしてよ風雪百年未開の荒野を拓いた不撓不屈の精神と偉業を讃えると共に我が郷土の限りない発展を願い
茲に百年の碑を建て後世に伝える
 平成九年三月十五日
 三和野開拓百年記念事業実行委員会
碑の後ろには、「開拓入植者御芳名」として十六人の氏名と入植年が記されてゐる。明治三十一年が三名、三十四年二名、三十五年三十七年各一名、最後は昭和十年一名。


出典・脚注

改訂記録
  • 令和06.03.18 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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