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歌笛神社 (北海道〈日高〉新ひだか町三石歌笛)

参拝日 令和元年8月7日(水)
作成日 令和2年9月12日(土)
追記日 令和6年3月17日(日)
よみ  うたふえ じんじゃ  
所在地 〈日高管内〉新ひだか町三石歌笛 (42度16分27.27秒 142度41分20.00秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 歌笛神社
祭神  天照大神(あまてらすおおかみ)
 白山比賣神(しらやまひめのかみ)
 熊野大神(くまぬのおおかみ)
由緒  元 村社
 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒 明治二十二年福井県大野郡富田村の林小右衛門・猪野毛治郎衛門。長谷川吉兵衛の三人が歌笛に移住し農業に従事したのが歌笛開拓の第一歩であり、明治二十六年猪野毛治郎衛間が郷里に立帰った際福井県大野郡勝山にある白山神社の御分霊を拝受して之を奉遷したのが歌笛神社の創祀である。その後漸次移住増加し奥地の稲見・川上も明治三十年頃より開発せられたのであるが、当時は交通不便と郷里福井県の慣習を理由として地区毎に神社建設の論が起り、稲見は、山田七助に依り天照大神の御分霊を、又、川上には、小林三作に依り熊野大神をそれぞれ奉遷、地方守護の神として崇拝した。然るに、数年を経ずして之の合同論が一村の先覚者達によって叫ばれ、各地区住民は円満合同を決議し、現祭神を合祀したのが明治四十三年八月である。その後、大正八年に現在の境内地に新築移転し、昭和十四年六月二十四日に公認神社に指定され現在に至る。

 社頭にある掲示には次の様に記されてゐる。
歌笛神社略歴
当神社は明治三十六年歌笛開拓の祖猪野毛治郎左衛門郷里福井県大野郡勝山鎮座白山神社御分霊を受拝受し来たり 林孫右衛門 林小右衛門 猪野毛房吉等と相計り現在の猪野毛勤氏宅付近に一祠を建立して奉斉したのが創始である 明治三十五年字ルベシベの山田七助の奉斉せる天照大神 字能臼の小林三作等の奉斉せる熊野大神合祠して祭神を三柱とし三社中央なる庄内の馬市組合所有地(現在木島信行氏宅付近四反歩余)に移転遷座す
大正八年該地の度重なる出水禍又古潭市街地の発展等のため神社移動の議起り林末松 中村太七 林福松の三氏代表となって町有地(現在地)との交換交渉の結果これが実現して大正八年八月建坪十五坪の社殿を建立し移転遷座す
その後昭和十四年二月二十一日神社創立出願同年六月二十四日許可同年七月十四日創立完了同年七月十五日村社昇格を出願同年八月三十日村社に列せられ同年九月六日神饌幣帛供進社指定となる 昭和二十一年九月二十日宗教法人令の適用又昭和二十九年二月二十六日宗教法人令適用の神社として今日に至る
     記
 主なる資産 土地 境内及び山林 三十七町一反余
       建物 神殿     昭和八年
       拜殿        大正十一年
       控室        昭和十四年
  平成二十年四月     寄進 (四氏名略)

 拝殿内に「歌笛神社略歴」が掲示されてゐて、文章は、ほぼ社頭掲示のものと同じで昭和四十七年九月記とある。また、主なる資産及施設として、社頭よりも詳しく記載されてゐる。
雑記  日高本線本桐駅から東北東ないし北東へ6.3kmのところにある。(なほ、鵡川駅から当駅を経由して終点様似駅までの116kmは平成27年から不通で廃止が濃厚な状況。代行バスが運行されてゐる。)
 役場からは、東ないし東南東へ30kmのところにある。
 谷底平野を流れてゐる川は鳧舞川。河口は、今朝、最初に参拝した鳧舞神社から南東へ1.6km。
 
 「三石町開基百年記念 昭和五十年四月植樹」と刻まれた小さな石碑がある。何を植えてあったのか未確認だった。
 三石は、歌笛村(うたふえ)、姨布村(おばふ)、辺訪村(へぼう)、幌毛村、本桐村、鳧舞村(けりまい)を合併し、三石村が発足してゐる。後に町制を敷き、三石町は、平成18年に静内町と合併し新ひだか町となってゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

社号標は「村社歌笛神社」、背面には「昭和十四年九月吉日 村社歌笛神社公認昇格記念」とある

写真2
写真2 拡大 (1280×960)


写真3
写真3 拡大 (1280×960)


写真4 拝殿内
写真4 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真5 戦没者慰霊碑
写真5 拡大 (1280×960)

戦没者慰霊碑
碑文
異国の地にあってどんなにつらかったであろう、一杯の水も口に出来なかったであろう、だた一途に必勝を信じて勇ましく戦い尊い生命を国のために捧げられたあなた方の苦しみを再び繰返さぬ様この尊い犠牲を忘れず更に永遠の平和を希い終戦四十周年にあたり一般各位のご協力を仰ぎここに慰霊の碑を再建す
    北海道議会議員 酒井芳秀書
慰霊碑を前にすると、いつも思ふ。感謝や顕彰してこそ慰霊だと。そして、碑背には「昭和六十年八月十五日建立 忠魂碑建設委員会 遺族会」とあるので、……やはり複雑な気分。戦没者として明治三十七年の一名ほか、昭和十年代二十年代の三十四の氏名が刻まれてゐる。
なほ、酒井芳秀氏は、歌笛生れで静内町・新ひだか町の町長も務めた。令和2年、旭日中綬章を受章。

写真6 開村三十年記念碑
写真6 拡大 (960×1280)

開村三十年記念碑
碑背には「大正九年四月十八日」の年記。石材店の寄附。

他に「開村五十年記念碑」があった、皇紀二千六百年記念。

写真7 開村八十年記念碑
写真7 拡大 (960×1280)

開村八十年記念碑

碑背には、開拓の祖八人の氏名、各部門功労者五人の氏名が刻まれてゐる。

写真8
写真8 拡大 (1280×960)

境内社

馬頭観音らしい。社殿内にあるカレンダーには馬の写真が使はれてゐた。


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.640

改訂記録
  • 令和06.03.17 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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