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三石神社 (北海道〈日高〉新ひだか町三石本町)

参拝日 令和元年8月7日(水)
作成日 令和2年9月19日(土)
追記日 令和6年3月17日(日)
よみ  みついし じんじゃ  
所在地 〈日高管内〉新ひだか町三石本町302番地 (42度15分7.14秒 142度33分14.37秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 三石神社
祭神  保食神(うけもちのかみ)
 市杵島比賣神(いちきしまひめのかみ)
 事代主神(ことしろぬしのかみ)
 綿津見神(わだつみのかみ)
由緒  元 郷社
 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒 当町開拓者小林家の祖栖原屋半次郎(小林屋半次郎)が姨布(おばふ)の地に創立し、二代、三代の重吉が再造営した辨天社も明治八年に至り神社制度の改革に伴う取調べの節、社格未定につき郷社に列せられ、社名を稲荷神社と称した。明治三十二年十二月二十七日、境内も狭隘となり、社殿も腐朽したので三石郡姨布村越樋壱番地(現在の本町二四五番地)に移転改築を願い出て明治三十四年十月十七日建坪十五坪六合五勺の社殿を建立して遷座祭を執行したが許可証が交付されないので、明治三十六年七月二十日再度出願し、同年十二月二十三日に落成届を提出し、ここに鎮座されることとなった。その後、昭和十七年十月現在境内地(本町三〇二番地)に遷座し、その後、昭和五十六年の裏山崩壊により社殿が倒壊し、昭和六十年十月に社殿を改築し現在に至る。
境内外攝末社 美野和神社 天照大御神

 明治神社誌料(2)には『当社明細帳に云く、「文化三丙寅年正月日不詳創立」と、爾来当所の鎮守たりしが、明治八年郷社に列す』とある。
雑記  日高本線日高三石駅から西北西へ1.3kmの所にある。(なほ、鵡川駅から当駅を経由して終点様似駅までの116kmは平成27年から不通で廃止が濃厚な状況。代行バスが運行されてゐる。)
 新ひだか町役場からは、南東へ19kmの所にある。

 新ひだか町は、平成18年に静内町と三石町が合併して出来た町。当社の鎮座する三石は、明治39年に姨布村(おばふ)、辺訪村(へぼう)、幌毛村、本桐村、鳧舞村(けりまい)、歌笛村(うたふえ)を合併して三石村が出来、昭和26年に町制を施行してゐる。

 境外社に美野和神社があるとされてゐる。これは、上美野和神社と考へてゐるが、確信は持ててゐない。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

鳥居は「鎮座200年祭記念事業 奉納 幌村建設株式会社 代表取締役 幌村春雄 平成16年12月吉日」とある。

社号標は「郷社三石神社」、郷社部分はセメントが入れてある。謹書者名の他「昭和十七年拾月九日 三石村字本町 奉納者馬場議吉」と刻まれてゐる。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)


写真3 社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

狛犬は「昭和十七年十月建之 高野○○ 大東亜戦争出征記念」とある

写真4 御本殿
写真4 拡大 (1280×960)

御本殿

写真5 拝殿内
写真5 拡大 (1280×960)

拝殿内

絵馬には、慶応・文政六年の文字が読めた(写真右側の二枚)。

写真6 忠魂碑
写真6 拡大 (960×1280)

忠魂碑

碑背には「大正九年四月建之 三石村分會」とある。

写真7 社殿前からの眺め
写真7 拡大 (1280×960)

社殿前からの眺め

道路に沿って線路(日高本線、不通)が見える。奥には三石漁港。

御朱印
御朱印 拡大 (495×640)



出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.638-639
  2. 『府県郷社 明治神社誌料』 明治神社誌料編纂所 明治45年 上巻 北海道之部 p.25

改訂記録
  • 令和06.03.17 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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