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静内神社 (北海道〈日高〉新ひだか町静内御幸町)

参拝日 令和元年8月7日(水)
作成日 令和2年9月26日(土)
追記日 令和6年3月17日(日)
よみ  しずない じんじゃ  
所在地 〈日高管内〉新ひだか町静内御幸町五丁目7-28 (42度20分34.95秒 142度22分7.82秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 静内神社
祭神  神武天皇(じんむてんのう)
 事代主神(ことしろぬしのかみ)
由緒  元 郷社
 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒 大正八年蛭子神社と神武天皇社を合併して静内神社と称した。蛭子神社は寛政年間の創祀とも伝えられ、慶応三年の社記『志美茶理鎮守恵美須大神宮ノ縁起』には「昔未だ夷地開拓せざる時、土地人海中に網を曳けるに一躰の光明赫奕(かくえき)たるを得たり、其形人神の如し、土人尊信す、漁猟満足を祈ルニ必応験有。故に漁業守護神トシテ木幣を捧グ因に曰シベチャリ土人方言鮭多處と云儀也、此蛭子地蔵尊を信祭の後、倍鮭漁多を以て地號を鮭多故、他邦の土人此地に轉住する又多、故に或はシビチャリとて方言譯、繁昌弘地と云語也是地蔵蛭子海中より出現して漁猟圓満土地繁昌を鎮護諸願成就疑なく、祈に信誠を抽すべし。」とあり、『静内新冠両郡戸長役場社寺明細帳』には「明治元年開拓使渡島国亀田郡函館商人佐野専左衛門ナルモノ静内郡一円ノ漁場ヲ所有セシ中豊漁ヲ祈ランカ為漁神二勧請」とある。明治九年蛭子神社として村社に列せられた。神武天皇社は、勤王派であった徳島藩洲本城代家老稲田邦植旧主従が、明治四年静内郡開拓の朝命を奉じて移住した際、神武創業の古に復するという明治維新の趣旨を奉じ、移民の守護神として奉斎したのが創祀で、明治九年神武天皇社として郷社に列せられた。昭和二十一年宗教法人設立となる。昭和四十年社殿改築。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神 神武天皇社 明治四年創祀 大正八年十一月二十日合祀

 社頭の由緒掲示には次の様に記されてゐる。
静内神社由緒
御祭神 神武天皇(初代天皇)
    事代主神(えびす様)
 大正八年蛭子神社と神武天王社を合祀して静内神社と称した。
 慶応三年の社記にはには蛭子神社について「土地人海中に網を曳けるに一体の光明赫奕(かくえき)たるを得たり。其形人神の如し。漁猟満足を祈るに必ず応験あり」とある。
 神武天王社は、勤王派であった稲田家家臣団が静内郡開拓の朝令を受けて明治四年淡路から移住した際、神武創業に古に復するという明治維新の趣旨を奉じ、開拓の守護神として奉斎した。
 昭和二十年早春、現在地に遷し、昭和四十年社殿を改築した。
雑記  日高本線静内駅から北北東へ0.9km、新ひだか町役場から北へ0.2km程の所にある。(なほ、鵡川駅から当駅を経由して終点様似駅までの116kmは平成27年から不通で廃止が濃厚な状況。代行バスが運行されてゐる。)

下の写真の他に石碑は、
伊勢一郎翁 頌徳碑 昭和十六年に境内地として九段余(0.9ha)を寄附されたといふ。

 新ひだか町は、静内町と三石町が平成18年に合併して出来た町で、当地は静内町に属してゐた。この辺りは明治42年までは下下方村だった所で、下下方村(しもげぼう)、上下方村(かみげほう)、中下方村(なかげほう)、遠仏村(とおぶつ)、碧蘂村(るべしべ)、市父村(いちぶ)、幕別村(まくんべつ)、捫別村(もんべつ)、目名村(めな)、農家村(のや)、有良村(うら)、春立村(はるたち)、婦蟹村(ふかに)、佐妻村(さめ)、音江村(おとえ)、遠別村(とおべつ)が合併 して静内村が発足して、大正13年には下下方、中下方、上下方を統合して大字静内村に、昭和6年之町制施行後、昭和9年には大字静内村は再編され御幸町他の町名が付けられた。(2)  地名は、市父:いちぶえ 婦蟹:ふゆに としている例もある。

 静内と云へば、軽種馬市場(競馬馬)、シャクシャインの戦ひ(寛文九年(1669))は連想するところだが、当社との縁は判らないので触れない。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)


写真2
写真2 拡大 (1280×960)


写真3 社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

向拝の扁額は「静内神社 北海道知事 町村金五謹書」

写真4 拝殿内
写真4 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真5 忠魂碑
写真5 拡大 (1280×960)

忠魂碑

題字は、町村金五書、碑背には、昭和54年10月18日建立 静内町遺族会 会長南河辰雄、とある。碑の両翼には静内町戦没者名が記されてゐる。314名。

写真6 社号標
写真6 拡大 (960×1280)

社号標

側面には「風雪百年輝く未来」と、背面には「昭和四十三年十二月奉納 (氏名略)」とある。風雪百年輝く未来、この文言は習字の時間か、冬休みの宿題かで書いた記憶がある。今になって知ったが、北海道百年記念事業のテーマとなってゐた句だった。

御朱印
御朱印 拡大 (497×640)



出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.636-634
  2. 令和2年9月24日閲覧 ウィキペディア 静内町

改訂記録
  • 令和06.03.17 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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