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荻伏神社 (北海道〈日高〉浦河町荻伏)

参拝日 令和元年8月7日(水)
作成日 令和2年9月12日(土)
追記日 令和6年3月18日(月)
よみ  おぎふし じんじゃ  
所在地 〈日高管内〉浦河町荻伏483 (42度12分26.85秒 142度40分54.99秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 荻伏神社
祭神  大國魂命(おおくにたまのみこと)
 大己貴神(おおなむちのかみ)
 少彦名神(すくなひこなのかみ)
由緒  元 村社
 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒 荻伏村は赤心社の移民によって開拓された地である。移民の殆どはキリスト信者であったため神社の必要がなかったが、軍部の要請もあり、戦勝祈願出征兵の歓送等、また時移り人変って村として当然神社の必要が痛感されたため、昭和十六年十一月に長岡隆一村長は万難を排しここに村費をもって社殿を建立した。
雑記  日高本線荻伏駅から西北西へ0.7kmのところにある。
 (なほ、鵡川駅から当駅を経由して終点様似駅までの116kmは平成27年から不通で廃止が濃厚な状況。代行バスが運行されてゐる。)

 孝本 貢氏の『北海道地域社会における神社形成過程──日高・浦河町地方の事例研究──』(2)によると、由緒欄に引用した内容が、より良く解る。
 荻伏地区は昭和31年浦河町に編入合併するまで、荻伏村であった(p.37)。
 明治13年キリスト教信念にもとついて、殖産と国家衰運を挽回する愛国的熱情でもって神戸に会社組織赤心社が結成され、翌14年に広島、兵庫より移民を募集し、第1回移民54戸が西舎(にしちゃ)に入植した。しかし、入植地が農耕地として充分には適していなかったこと、渡道の航海中チブスの感染、農具を満載した船の漂流などの不運が続いた。そして初年度は開拓計画初年度50町歩のところ、18町歩を開墾したにとどまっている。赤心社は後の実質的指導者沢茂吉が部長となって元浦川筋の開拓を本格的に始め、明治21年より赤心社社員を荻伏地区に移住させ、拠点を明治26年より完全に移した。(p.30-31)  23世帯のうち、明治21年に西舎村を引き払い、荻伏へ移住させたとき西舎村にとどまったのは5世帯にすぎなく、(中略)赤心社としても西舎村に根を下さなかった(p.32)。
 荻伏村の昭和初期、農耕地に関してみると、水田においては約3割、畑地に於ては約7割、牧場においては1.5割が赤心社社有地となっている(p.38)。
 赤心社はその創立から日本プロテラスタントの宗教的信念によって支えられ、入殖2年後の明治17年には元浦河教会を創立している(p.39)。
 村社を創立していく動きが、昭和9年頃より出ている。昭和11年の村議会で村社造営が決議されている。昭和13年より全村労働奉仕で造営が行なわれ、資金は村民の積立によってなされた。また、神社敷地1反6畝は赤心社の寄付により、基本財産は村有地2町歩の寄付によって造られている。しかし、昭和13年には建設費用が2000円余り不足しており、昭和16年になってようやく村社荻伏神社の創立をみた。なお,昭和17年には赤心社より神社敷地として1町7反余が寄付されている。(p.40)

 浦河町HPの沿革ページ(3)によると、元浦川河口付近(現在の荻伏市街地)が浦川と呼ばれ、松前藩によって浦川場所(会所)が設けられてをり、主として漁業による交易が行はれてゐたが、幕府直轄となってトマリ(現在の浦河市街)に移された、経緯があるといふ。

 昭和57年に浦河沖地震(マグニチュード7.1、浦河沖20km、深さ40km、最大震度6)があった。浦河は地震の多いところでもある。

メモ:現在の地名は浦河・元浦河、川の名前は元浦川、支庁(振興局)のある市街を流れる川は向別川で上流にあるダムは浦河ダム。浦川町はかつて静岡県西部にあった町。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 鳥居
写真1 拡大 (1280×960)

鳥居

昭和55年5月に奉納された。
駅から南西へ100m余の所に公園があり、大きな昭和10年の「開拓記念碑」が建ってゐる。そこからもこの鳥居は見える。

写真2 参道
写真2 拡大 (1280×960)

参道

写真3
写真3 拡大 (1280×960)


写真4 社殿正面
写真4 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真5 社殿側面
写真5 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真6 荻伏駅
写真6 拡大 (1280×960)

荻伏駅

平成27年から不通となり、レールの錆が濃い。


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.641
  2. 『北海道地域社会における神社形成過程──日高・浦河町地方の事例研究──』 1984年 孝本 貢 
  3. 令和6年3月17日再確認 浦河町web内 沿革 更新日:2023年03月09日

改訂記録
  • 令和06.03.18 (1)ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 (2)出典・脚注欄:第2項に論文へのリンク作成、第3項新設し雑記欄記載の沿革の出典を明示した。 (3)雑記欄で修正と追記:浦河地震→浦河沖地震、最大震度6 を追記

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