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遠浅神社 (北海道安平町早来遠浅)

参拝日 平成30年5月26日(土)
作成日 令和元年6月25日(火)
追記日 令和6年4月5日(金)
よみ  とあさ じんじゃ  
所在地  安平町早来遠浅693 (北緯42度43分35.85秒 東経141度46分24.47秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  北海道神社庁 神社詳細 遠浅神社
祭 神  天照大御神(あまてらすおおみかみ)
由 緒  早来町史には次のやうに載ってゐる(1)
遠浅神社
鎮座値 早来町字遠浅693番地
祭神 天照大神 保食大神 天之御中主神
例祭日 九月十二日
 由緒 明治三十五年遠浅停車場の開業とともに、市街予定地に入地するものがしだいに増加したが、数年間はこの地域に神社なく、明治三十七、八年日露戦争の戦勝記念標が一本建てられているのみであった。当時この地方の林業は極めて盛況にあり、市街地には造材業、製炭業者も多かったが、吉村要三郎をはじめこれら林業関係者らが相謀って、林業に因縁のある山神を奉祀する計画をたて、住民の賛同を得て明治四十年(1907)十月、大島清吉所有地であった現在境内地二反歩の寄附を受けて、ここに遠浅神社を建立した。また、当時遠浅停車場線路向いに住んでいた馬車追業者約三十名は、本社殿西側境内地に馬頭観世音を建立して、これを祀った。昭和四十二年には宗教法人設立の認可を受けて、宗教法人としての遠浅神社の設立を見た。
雑 記  室蘭本線遠浅駅から南東へ0.4kmほどの所にある。

 当地は明治39年追分・早来併せて安平村が成立したが、昭和27年に追分を分村してゐた。平成18年に追分町と合併し安平町となってゐる。

 9月6日午前3時8分大地震が発生した。のちに、「平成30年北海道胆振東部地震」と命名された。鵡川、早来、とりわけ厚真では被害が大きかった。同年11月には南空知他の神社を巡拝した際には石造物の損壊が多く、前々日の台風による倒木と相まって痛ましい思ひを抱いた。
 当社は、より震源に近く、ひどい被害を受けたと想像する。

 写真に示した他に、大正七年九月奉納の石灯籠、明治四十三年九月奉納の石製手水鉢(これには水道の蛇口が取付けられてゐた)があった。鳥居は雪印乳業(株)遠浅早来工場が昭和三十六年九月奉納。
 「地域の人達の力を集め社殿を改築し境内を整備しました」と平成五年遠浅神社造営奉賛会による碑がある。

 遠浅は国産チーズ発祥の地なのだそうだ。昭和8年北海道製酪販売組合連合会(後の雪印乳業)が(また同年早来で森永練乳が)チーズ工場を創業した。昭和60年規模拡大に伴い手狭になった工場は大樹町に移転したといふ。

 復旧に国や道からの支援は無いといふ。政教分離なんだそうだ。
 おかしい。
 支援は憲法20条1項の「特権」ではないし、2項の「宗教上の行為」でもないし、3項の「宗教活動」でもない。地域のインフラの一部と思ふ。日曜日に休むのは宗教上の行為だから公務員は休むなと云ふ人はいまい。風呂に入るのは禊(みそぎ)の一種だから公共施設(震災時の支援でも)に風呂は設置しないとか、あり得ない。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4


写真5 侍従御差遣記念碑(昭和十一年建立? 読取りがたい)
写真6 狛犬(大正十三年奉納)


写真7  社号標(平成五年奉納)


出典・脚注
  1. 『早来町史』 早来町 昭和四十八年発行 p.1494

改訂記録
  • 令和06.04.05 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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