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安平八幡神社 (北海道安平町安平)

参拝日 平成30年5月27日(日)
作成日 令和元年6月25日(水)
追記日 令和6年4月4日(木)
よみ  あびら はちまん じんじゃ  
所在地  安平町安平447-9 (北緯42度48分51.28秒 東経141度50分4.66秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭 神  誉田別神
 息長足姫神
由 緒  神社庁包括外神社
 早来町史には次のやうにある(1)
由緒 明治三十五年安平に停車場が開業するとともに、停車場前に市街予定地が区画され、入地者の数も年毎に増加したが、当時市街地とシアビラ(現瑞穂)は一体の関係にあって、市街地の学童は鳥取小学校に通学し、神社も市街地に近かったため支安平神社を氏神として参詣していた。
 明治三十七年日露戦争の最中に支安平神社が奥地の部落中央部に新築遷宮したため、市街地の住民たちは出征軍人の見送り、戦勝祈願をなすべき神社もなく、ここにおいて内藤順治、林梅五郎、深津幸吉ら市街地有志ら相謀り矢田市助より境内地一町八反歩の寄附を受けて、明治三十七年九月に安平八幡神社を創設した。以来これを安平市街地および東安平(現緑丘)安平部落、アツケシュンベ、西安平、共栄等各部落一円の氏神として、毎年九月十五日に例大祭を施行してこれを崇敬してきた。
 安平神社々殿も明治三十七年造営後六十数年を経て、最近はその腐朽破損も甚だしくなったため、昭和四十四年九月例祭をひかえて全面的にこれが修築改装が行なわれた。

 北海道神社庁誌(平成11年)には次の様に載つてゐる(2)
由緒 内藤順治・梅林五郎・深津幸吉ら市街地有志らが相謀り、矢田市助より境内地一町八段歩の寄附を受けて、明治三十七年九月、安平八幡神社を創設したことに始まる。以来これを安平市街地及び東安平(現緑丘)安平集落、アツケシュンペ、西安平、共栄等各集落一円の氏神として、毎年九月十五日に例大祭を施行してこれを崇敬してきた。
雑 記  室蘭本線安平駅から東へ0.8kmの所にある。

 明治39年追分・早来併せて安平村が成立したが、昭和27年に追分を分村し、昭和29年に村名を早来町に改称。平成18年に追分町と合併し安平町となってゐる。

 訪れた同じ年の9月6日未明(参拝から102日後)に「平成30年北海道胆振東部地震」が起きた。当地は震度6強の揺れだったと思はれる。被害の様子はわからない。小さいと良いのだが。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4  小さな碑があり「敬神百年」、背面に「旧 社殿 明治三十七年建立 百年を記念し安置する 平成十五年八月二十一日」とある。


写真5  「安平相馬神社建設記念碑」。家畜の安全を掌る神社を建設したとの建設の経緯のほか昭和十年七月の年記がある。手前の水盤は大正十四年の奉納。


出典・脚注
  1. 『早来町史」 昭和四十八年発行 p.1494-1495
  2. 『北海道神社庁誌』 平成11年 北海道神社庁 p.776

改訂記録
  • 令和06.04.04 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 由緒に北海道神社庁誌を引用追加した。

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