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上厚真神社 (北海道〈胆振〉厚真町上厚真)

参拝日 平成30年8月6日(月)
作成日 令和元年7月28日(日)
追記日 令和6年4月3日(水)
よみ  ─  
所在地  厚真町上厚真177>br>   (北緯42度38分40.01秒 東経141度50分52.48秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭 神  ─
由 緒  神社本庁包括外神社
 拝殿内の掲示には次のやうにある。
上厚真神社沿革史
大正十一年八月 北海道鉄道株式会社による金山線が開通 上厚真駅開設し同時頃上厚真神社を建立 五穀豊穣家内安全を祈願し四月九月の十五日を吉日とし祭典日とする
同十四年十一月 神社を造営 下安平(現早来町遠浅)より一平神を奉戴し鎮守の神とする 爾来地域の開拓事業の進展により人口増加も著しく祭典行事(秋祭り)も年々盛会になる 第二次大戦中は軍人兵士の武運長久を祈願 戦後は交通安全を祈る
昭和二十四年九月 西周文(にししゅぶん)(現共和)報徳神社(稲倉魂之神)建立造営
同 三十四年九月 新生活運動の合理化を期すため上厚真共和両自治会の賛同により両神社を合併す
同 四十二年九月 神社一部改造修理を行ふ
同 六十二年九月 神社並馬頭堂手洗所狛犬神殿備品附帯諸工事等新築造営す
上厚真神社建設委員 (以下 委員長他各役職者等氏名 略)
雑 記  浜厚真駅から北ないし北北東へ4.6kmの所にある。町役場からは、南南西へ9kmほどの位置にある。

 沿革にある金山線は、北海道鉱業鉄道(後に北海道鉄道と改称)が大正11年に沼ノ端駅-生鼈駅(いくべつ、後の旭岡)36.3kmを開業し、翌年、邊富内駅(へとない、後の富内駅)まで通じた。昭和18年に戦時買収され、線名は富内線となった。同年11月には連絡線が開業(20km余短縮)し、上厚真駅は休止されそのまま廃駅となった。尚、富内線(85.2km)の廃止は、昭和61年。
 上厚真駅は、当初の読みは「かみあづま」で、日高線浜厚真駅は、当初厚真(あづま)駅、後に浜厚真(はまあづま)駅で、ともに国有化された際に読みが「あづま」から「あつま」に変ってゐる。あづまジンギスカンの名も有名で、そのせゐか近頃まで「あづま」町、苫東「あづま」発電所と、濁るのだとばかり思ってゐた。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4


写真5


出典・脚注

改訂記録
  • 令和06.04.03 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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