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伊達神社 (北海道〈胆振〉伊達市末永町)

参拝日 令和元年7月4日(土)
作成日 令和2年8月29日(土)
追記日 令和6年3月19日(火)
よみ  だて じんじゃ  
所在地 〈胆振管内〉伊達市末永町 24-1 (42度28分45.03秒 140度51分51.18秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 伊達神社
・当社HP
祭神  主祭神 武甕槌神(たけみかづちのかみ)
     経津主神(ふつぬしのかみ)
     幸魂神(さちみたまのかみ)
 配神  伊達邦成命(だてくにしげのみこと)
     田村顕允命(たむらあきまさのみこと)
由緒  元 郷社
 北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)
由緒 明治二年、伊達邦成公(旧藩主)有珠郡支配を命ぜられ、宮城県宇田・亘理両郡の旧臣を率いて当地に移住し開墾の業を進む。同六年まで移住者相次ぎ、ついに五〇〇余戸に達す。明治八年七月(同六年願い済み)時の開拓使伊達邦成公が有珠郡開拓と北門鎮護の守護神として旧磐城国亘理郡鎮座、延喜式内社鹿島天足和気神社の御分霊を勧請し神殿を建立。明治九年四月八日、邦成公自ら祭主となり、開拓使主典田村顯允公が副祭主、祠官黒野時中が奉仕して遷座祭を執行した。元紋鼈(1)桜小路幌美内岡頭に鎮座。明治四十一年鹿島町に奉遷し、大正八年(開拓五十年記念)に現在の社殿を改築した。昭和十年有珠郡開拓の先覚者であり偉勲者である伊達邦成公・田村顯允翁の二柱を配神として合祀、昭和四十八年現在地末永町に遷座された。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神 伊達邦成命 昭和十年合祀 ・ 田村顆允命 昭和十年合祀
 当社HPによると、昭和48年に伊達神社と社名を改めた。旧社名は、鹿島國足神社(かしまくにたらし じんじゃ)
雑記  室蘭本線伊達紋別駅から北北東へ1.3kmの所にある。伊達市役所からは北へ0.8kmの所にある。

 当社の祭神について、由緒欄の引用文書では、腑に落ちない所がある。
 つまり、幸魂神は一霊四魂説によるもので武甕槌神と同一神として理解できるが、経津主神は、香取神社の神で何故主祭神にされてゐるのだらう。
 なほ、亘理町鎮座の鹿島天足和気神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)の御祭神は、武甕槌神 鹿嶋天足和氣神社、左殿 稜威雄走神 鹿嶋伊都乃比氣神社、右殿 猿田彦命 鹿嶋緒名太神。創建した当時は三座を一社にまとめてゐたためで、鹿島緒名太神社は逢隈地区小山へ、鹿島伊都乃比気神社は吉田地区作田へと遷座したといふ。経津主神は祀られてゐない。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

鳥居は、昭和十三年五月吉日建之、とある。
社号標「伊達神社」は左右一対ある。
灯籠の一つには「記念 東宮殿下御外遊」「御出発大正十年三月三日 御帰還大正十年九月三日」とある。

写真2 拝殿正面
写真2 拡大 (1280×960)

拝殿正面

写真3 拝殿内
写真3 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真4 拝殿前から鳥居方を望む
写真4 拡大 (1280×960)

拝殿前から鳥居方を望む

写真右側(参道内側)の狛犬は「大正拾四年五月 伊達村婦人會」、左側は「昭和三十一年十月三十日 伊達町館山□ 氏名(読取れない)」と刻まれてゐる。

御朱印
写真5 拡大 (1280×960)



出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.614-615
  2. 紋鼈:もんべつ。道内には複数の「もんべつ」(地名)がある。門別(日高町)・紋別市(オホーツク管内)、駅名では日高門別駅・伊達紋別駅(伊達市内の駅名、地名紋鼈(もんべつ)由来)もある。

改訂記録
  • 令和06.03.19 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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