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稀府神社 (北海道〈胆振〉伊達市稀府)

参拝日 令和元年7月4日(木)
作成日 令和2年8月29日(土)
追記日 令和6年3月19日(火)
よみ  まれっぷ じんじゃ  
所在地 〈胆振管内〉伊達市南稀府町305-30 (42度25分52.43秒 140度55分7.73秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭神  水波女神
由緒  神社庁包括外神社
 北海道神社庁誌には、次のやうに載ってゐる(1)
由緒 明治十三年仙台亘理藩からの第八回移住者が稀府の荒野に初めて開拓の鍬を打ち下ろす。四〇余戸の移住者は生活用水の確保に工事中、発見された石を水神様として祀ったのが始まりである。明治二十九年、馬頭観世音を祀る。昭和六十年、稀府神社として社殿を建立し、現在に至る。
雑記  室蘭本線稀府駅から東北東へ1.8kmの所にある。

 境内に「顕彰碑」があり、当社の由来も記されてゐる。 
顕彰碑
 
 明治十三年仙台亘理藩からの第八回移住者が此処を永住の地として稀府の荒野に初めて開拓の鍬が打ち下ろされたのである。
 四十余戸の移住者は生活用水の確保にオヒルネップ川(牛舎川)から分岐し疎水の開削難工事に着手したのであるが激しい労働と乏しい食料の困苦に耐える心の糧として工事中に発見された石を水上様としてお祭りしたのである。
 北海の凍てつく酷寒で木を切り熊笹を刈り夏には肌を焼く灼熱の野に畑を耕し機械一つない人手に依る開拓が続けられたのでありその労苦は言語に絶するものであった。
 明治二十九年心身の守護を願い郷里の小牛田神社に思いを寄せ奉祀しその後唯一の動力となった農耕馬が過労に果てた霊を馬頭観世音として合祀し例祭を行ない五穀豊穣と開拓の成功を祈願し同志の結束を固めつつそれを只一つの楽しみともしたのである。
 不屈の開拓精神と血の滲む先人の努力に依り稀府の荒野は緑の沃野として重要視されるに至り更に文化の灯がともる現在の稀府の礎えを築きあげたのである。
 時は流れ世代は変って開拓二世紀を迎え先駆者の偉業と功績を徒に歴史の流れに葬り去るに忍びず稀府神社が再建されたのを期し顕彰碑を建立し先人の遺徳を子々孫々に継承するものである。
   昭和六十年八月吉日 氏子一同建碑

 当社の前(南西側)は牛舎川公園となってゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

手水鉢、道路に近い所に置かれてをり、割と大きな自然石で、「寄贈 昭和五十九年八月十七日 伊達高田産業山口慶次 栗林商會 南稀府水利組合」と刻まれてゐる。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

御影石の灯籠一対は「寄贈 南稀府水利組合 昭和五十九年八月十七日」とある

鳥居の扁額には「稀府神社」に「北海道知事 町村金五謹書」と添へられてゐる。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)


写真4
写真4 拡大 (1280×960)


写真5
写真5 拡大 (960×1280)

馬頭観世音

明治卅九年十月十七日と年記がある。(由緒欄の、明治二十九年建立の馬頭観世音とは別だらうか。)


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.1122

改訂記録
  • 令和06.03.19 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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