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絵鞆神社 (北海道〈胆振〉室蘭市絵鞆町)

参拝日 令和元年7月4日(木)
作成日 令和2年9月5日(土)
追記日 令和6年3月18日(月)
よみ  えとも じんじゃ  
所在地 〈胆振管内〉室蘭市絵鞆町1-5-21 (42度20分14.71秒 140度56分23.58秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 絵鞆神社
祭神  大國主命(おおくにぬしみこと)
 事代主命(ことしろぬしのみこと)
 保食神(うけもちのかみ)
由緒  元 無格社
 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒 弘化元年、市内崎守町にムロラン会所を為し居りし岡田半兵衛がエトモ岬に漁場出張を設けし際、事業発展と航海安全を祈り、出張に稲荷大神を奉斎し、同時に室蘭港口の二つの小島に大黒・恵比須を祀った。此の両島は風当りが強く、社殿保持が困難な為に一年後陸上に遷された。明治二十六年奉斎し居りし稲荷大神を神社として創立、明治三十年先の大黒・恵比須を合祀して社名公称を許され、無格社絵輌神社と称す。昭和二十一年宗教法人設立。
   注 弘化元年:西暦1845年
 ふるさと室蘭ガイドブックによると次の様(2)
絵鞆神社 (絵鞆町)
 弘化元年(1845)に、当時の絵鞆場所請負人の岡田半兵衛が、絵鞆に漁場の出張りを設けた際に航海の安全と事業の発展を祈願するため、絵鞆近くの二つの小島に大黒・恵比寿の両神と陸には稲荷大明神の三神を祀ったのに始まるという説があります。これ以降、大黒島、恵比須島と呼ばれるようになりましたが、風当たりが強く社の保持が難しいため僅か1年で崎守神社に遷されました。
 明治26年(1893)、現在地に社殿を建設して稲荷大明神を祀り、同30年崎守神社に一時遷座していた大黒・恵比寿両島の神体を同社に合祀(ごうし)しました。祭神は豊漁にちなんだ大国主命(おおくにぬしのみこと),事代主命(ことしろぬしのみこと)、保食神(うけもちのかみ)です。
雑記  室蘭本線室蘭駅から北西へ3.7kmのところにある。鉄道は東室蘭駅から分岐して絵鞆半島を7.0km走り室蘭駅に着く。

 松前藩が西暦1600年頃に絵鞆場所を開き、モロラン(現 崎守町)に移すまでの200年続いた。絵鞆の地名は、語源となるアイヌ語の「エンルム」(岬)から転化したものと云ふ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)


写真2 二の鳥居と社号標
写真2 拡大 (1280×960)

二の鳥居と社号標(写真6参照)

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

社前に一対の灯籠がある。「昭和十年五月○○日」「凱旋記念 (氏名)」とある。満州事変からの帰還だらうか。

写真4 社殿側面
写真4 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真5 御本殿
写真5 拡大 (1280×960)

御本殿

写真6 社号標
写真6 拡大 (960×1280)

社号標「繪鞆神社」

背面には「金婚記念建之 橋立竹治郎 ハル」とある。
近くには石製の鳥居の踏石と思はれるものがあり、氏名のほか「御幸紀」の三文字が読取れた。かつては石鳥居があったと思へる。

写真7 龍神
写真7 拡大 (960×1280)

龍神

写真8
写真8 拡大 (1280×960)

当社から海(室蘭港口方向)を望む。雨で霞んでゐる。

写ってゐる島は、大黒島。写真左端へ堤防が続いてゐる。


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.610-611
  2. 令和2年8月21日閲覧 室蘭市 ふるさと室蘭ガイドブック 平成28年 p.56

改訂記録
  • 令和06.03.18 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真6の画像サイズを修正(横338px×縦450px → 254×338)

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