神社訪問記HP北海道胆振管内 > 登別市

刈田神社 (北海道〈胆振〉登別市中央町)

参拝日 令和元年7月4日(木)
作成日 令和2年8月22日(土)
追記日 令和6年3月19日(火)
よみ  かった じんじゃ  
所在地 〈胆振管内〉登別市中央町6-24-1 (42度24分55.85秒 141度6分33.51秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 刈田神社
・Wikipedia:刈田神社 (登別市)
・当社HP
祭神  保食神(うけもちのかみ)
 大物主神(おおものぬしかみ)
 日本武尊(やまとたけるのみこと)
由緒  元 郷社
 北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)
由緒 刈田神社は登別市中央に鎮座し御祭神は保食神・日本武尊・大物主神を奉斎し北海道最古の神社として住民の生活と平安そして開拓を守護して来た。当社創立年代は明らかではないが古く幾百年の歴史を有し、幕政時代の蝦夷誌絵図などに妙見菩薩、弁天堂あるいは妙見稲荷社という記載がある。神仏混合時代に来往した和人が先住者と共に衣食住の守護神として保食神を奉斎したものと思われる。其の後天正十七年(一五八九)胆振に六領がおかれ産業通商航海交通の守護神として社殿鳥居が建てられ亦明治三年白石城主片倉小十郎邦憲家臣が一五〇余名を従え守護神白鳥社日本武尊の神霊を奉じ移住合祀し、又四国よりの開拓者は四国金刀比羅宮の祭神大物主神の神霊を奉じ移住合祀した。明治八年幌別村鷲別村登別村の郷社と公称遠くは胆振の国六領の守護神また奥州白石領の守護神として幾多の変化にも常に変る事なく御神徳を明らかに住民を守護されてきた。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神 妙見稲荷社神社 保食神 明治三年合祀
境内外摂末社 三貴子神社 天照皇大神 月讀命 建速須佐之男命 ・ 大山祇神社 天之御中主大神 大山祇大神 少彦名命 大己貴神・祖霊舎 氏子の祖霊・相馬妙見神社 生馬神 保馬神

 開拓記念碑が建ってゐる。建立時期が判らないが、当用の字体に置換えて転記した。読下し文が掲示されてをり参考にした。(読下し文の画像(323kB))
開拓記念碑
明治弐年九月元奥州白石城主片倉小十郎邦憲請宮而成胆振国幌別郡支配翌参年其旧臣壱百五拾余名移住於此地而従事闢墾是為本村開基矣当時幌別之為地壌土草昧巨樹鬱怫熊羆跋扈焉豺狼跳哮焉開拓之業豈容易乎同拾年邦憲之嫡孫景光任開拓之事景光天資剛毅才秀而識卓其所企画咸中機宜而邑人亦同心協力以斫悪木焚茅茷通道路闢疇圃数年而業績甚挙而不啻建闢墾之功又能致力於彝倫於是民風亦甚美也爾来駸駸乎日趨於繁庶今也人家以千数美疇良圃相属誠可謂盛然而邑人之所以鼓腹而楽太平者蓋前人之余沢也今茲丙寅旧家臣胥謀欲建石表之来請予文予既偉前人之功又冀郷人之永有所矜式也故不辞而拠状叙之
 北海道帝国大学総長正三位勲一等農学博士佐藤昌介
            題字 正五位男爵片倉健吉書
雑記  室蘭本線幌別駅から北ないし北北東へ0.6kmの所にある。登別市役所からは北東へ0.3kmの所にある。

 平成29年6月に蔵王へ行った際、刈田の地名を知った。片倉小十郎邦憲が奉じた白鳥社は蔵王町宮に鎮座する刈田峰神社で、片倉家(白石城主)の総守護神。刈田峰神社のある「刈田郡や隣接する柴田郡では「白鳥信仰」があり、当社には奉納された白鳥の絵馬がいくつも伝えられている。また、境内に「白鳥古碑群」がある。」「白鳥大明神の別名がある」といふ(1)

 本日は、東室蘭駅の駅レンタカーを借りて、室蘭近辺の神社を巡った。11社を巡る計画を建てたものの、お社を探して彷徨したり、岬からの眺望を楽しんだり、駅舎を見学したり、さらには雨が強くなり、9社の参拝に留まった。
 石狩・空知は屯田兵や植民が主だが、こちらは道南に近く、北海道と呼ばれる前の漁業や交易が主だった頃に創建された神社も多く、歴史も長い。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

鳥居は、昭和三十五年七月十九日建之。社号標は、「奉祝天皇陛下御在位六十年記念」で奉納されたもの。後方に、「郷社刈田神社」と刻まれた社号標が建ってゐる(「郷社」部分は埋められてゐる)。

写真2 二の鳥居
写真2 拡大 (1280×960)

二の鳥居と御神門

写真3 社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真4 開拓記念碑と境内社(大山祇神社)
写真4 拡大 (1280×960)

開拓記念碑と境内社(大山祇神社)

碑文は由緒欄参照。碑文の読下し文は画像(323kB)参照。

写真5 忠魂碑
写真5 拡大 (1280×960)

忠魂碑

写真6 手水舎
写真6 拡大 (1280×960)

手水舎

大きな舟形の手水石に水が湛えられてゐた。「奉納 生国岐阜県美濃国揖斐郡池田町市橋 (氏名略) 昭和四十三年□吉日」とある。

御朱印
御朱印 拡大 (486×640)


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.619-620
  2. 令和2年8月17日閲覧 ウィキペディア 刈田嶺神社 (蔵王町宮)

改訂記録
  • 令和06.03.19 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)


inserted by FC2 system