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鷲別神社 (北海道〈胆振〉登別市鷲別)
参拝日 令和元年7月4日(土)
作成日 令和2年8月22日(土) 追記日 令和6年3月19日(火) |
わしべつ じんじゃ
| 〈胆振管内〉登別市鷲別町 1-35-3 (42度21分13.33秒 141度2分56.96秒)
| 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) 参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等
| ・北海道神社庁 北海道の神社 鷲別神社
| 祭神
| 保食神(うけもちのかみ)
| 大綿津見神(おおわたつみのかみ) 境内の手水鉢の隣に鯨の骨とともに、由来が掲示されてゐる。その文は次の様。(写真6参照)
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北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)。
雑記
| 室蘭本線鷲別駅から南東へ1.0kmの所にある。
| 当社へは、初めは室蘭側から行こうとしたが道が繋がってゐなくて、車から降りて探したものの判らず、附近をうろうろした。地図を見直して国道から鷲別岬方への細い急斜面の道を登ってやっとたどり着いた。 別名「鯨明神」と鯨との縁が大切にされてゐる。鯨と云へば、鯨八幡とも言はれる室蘭八幡宮も鯨に縁があり、鯨の買上げ代金は御造営遷座資金に充てられたといふ。鷲別岬から少し南にあるイタンキ浜での故事もある。(日高で飢饉にあったアイヌがイタンキ浜まで来たとき、岩をみて鯨が打上げられると誤認して待ち続けたが、たき火の薪も無くなり椀(アイヌ語でイタンキ)までも燃やしてしまひ、結局全員が餓死したと云ふ伝説) せっかくここまで来たのだから、と岬の展望所まで登った。急な斜面を登ったが、日頃の運動不足か、膝が笑ふほどの負担だった。道はついてゐたが、階段がほかった。展望所で雨の降りそうな海を眺めた。あそこら辺りがイタンキ浜かな? とも思ったが、後で確かめたら、南北を間違えてゐた。 そうこうして、二社目にして計画より、67分遅れでの出発となった。 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) |
写真1 拡大 (1280×960) 社頭 鳥居は「奉納 三和工業株式會社代表取締役岩田正之 昭和四十九年十一月吉日」とある。残念ながら、全国法人データバンク によると三和工業(株)は 今年(令和2年)、登記記録が閉鎖されたといふ。事情は判らない。鉄鋼業なので、自社製の鳥居なのかもしれない。 |
写真2 拡大 (1280×960) 参道 正面に招魂碑。手前を右に曲ると社殿が見える。 一対の狛犬(狐)は「昭和十一年六月七日建之 鮮魚仲買組合」とある。 |
写真3 拡大 (1280×960) 社殿 手前の道路の左手に鳥居がある。 |
写真4 拡大 (1280×960) 拝殿側面 |
写真5 拡大 (1280×960) 拝殿内 |
写真6 拡大 (1280×960) 手水石と鯨の骨 |
写真7 拡大 (960×1280) 招魂碑 「北海道知事 田中敏文書」とある。台には銅(?)板が嵌め込まれてをり、殉國之英霊として五十名の氏名が刻まれてゐる。建立年が記されてゐないが、田中敏文は昭和22年から34年まで知事を務めてゐる。 |
出典・脚注
改訂記録
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