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塩釜神社 (北海道〈胆振〉白老町陣屋町)

参拝日 平成30年8月3日(金)
作成日 令和元年7月28日(日)
追記日 令和6年4月3日(水)
よみ  しおがま じんじゃ  
所在地  白老町陣屋町769-56
   (42度33分56.49秒 東経141度20分28.70秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭 神  ─
由 緒  神社本庁包括外神社
 白老町史(1)には次のやうにある。
塩釜神社 鎮座地 白老町字白追<仙台陣屋跡>
<由緒> 当神社は幕別仙台藩の陣屋跡高台の地点にあり、安政三年(1856)七月仙台藩士、陸前国塩釜、国幣中社(註1)塩釜神社より祭神を勧請し創立した。
 社殿は約三尺八寸四面の小規模のもので、敷地は約五十坪である。昭和二十九年の台風により破損した。また、陣屋造築当時植栽した赤松も倒れたのでその木を使用認可。太田哲は部落民一同(主として青葉会)の協力を得て、規模を拡張し新築したものである。
 (注)一関藩の古書(明治四年十一月)に「仙台陣屋旭岡(てるひがおか)に塩釜神社があり、向いの丘に愛宕(あたご)神社があった」と記録があるが、愛宕神社のことについて明確にする資料がない(註2)

引用者 (註1) 安政三年時点で「国幣中社」なる社格はない。明治期から終戦までの社格。
    (註2) 「愛宕神社の事について」であって「愛宕神社の存在について」ではないことに留意。

 塩釜神社鳥居近くに設置の碑文(横書)
塩釜神社跡(Sacred ground of Shiogama jinja)
 白老に元陣屋を築いて警備にあたった仙台藩士達は、陣屋を見下ろす東西の小高い丘陵上に国元から神社を勧請して守りとしていました。
 東の丘の上に愛宕神社を、そしてこの丘の上には塩竈市に鎮座し、奥州一の宮として古くから海上守護、安産守護、武徳の神として広く信仰を集めていた塩釜神社を建立した。安政3年(1856)元陣屋築造と同時に建立され、国元に準じて祭典が執り行われるなど、遠く故郷を離れた藩士たちをなぐさめるとともに蝦夷地警備の無事が祈られました。
 陣屋撤退後も地元住民の手によって守り継がれています。現在の社は、昭和29年台風のため倒れた赤松を用いて改築されたもので、これは仙台藩士が元陣屋造築寺に仙台から運んできた苗木が大きく育ったものでした。
白老町
雑 記  室蘭本線白老駅から北西へ2.1kmのところにある。

 元陣屋の「元」の意味がわからずにゐた。「元議員」は今は議員では無いのと同様に今は陣屋ではないのなら更に「跡」を付けるのは重複してゐるので、をかしいな、と。元陣屋跡入口には説明があった。読むと、始り(例:元日)、おさ・つかさ(例:元首)の意味であった。当社は陣屋設置と共に設置されたことも判る。
 掲示の文は、次の通り。
史跡 白老仙台藩陣屋跡
昭和四十一年三月三日 史跡指定(国)
昭和五十一年七月八日 追加指定(国)
 この陣屋跡は、安政三年(1856)蝦夷地の防備を固めるため、仙台藩が築いたものである。
 安政元年(1854)徳川幕府は鎖国を解いてアメリカ・ロシアと和親条約を結び箱館港などを交易場とした。
 このため幕府は、蝦夷地を直轄地とし、翌年、仙台藩をはじめ津軽・秋田・南部の奥羽諸藩と松前藩に警備を命じた。(安政六年、庄内藩と会津藩も加わる)。
 仙台藩の守備範囲は、白老から襟裳岬を越えて国後・択捉までの東蝦夷地であったため、白老に元陣屋を、広尾・厚岸・根室・国後・択捉に出張(でばり)陣屋を築いた。
 元陣屋の面積は、6.6ヘクタールで堀と土塁を円形・弧状に巡らして内曲輪と外曲輪を構成している。ここには、本陣・勘定所・穀蔵・兵具蔵・長屋などがあり、少し離れた東西の丘陵に塩釜神社と愛宕神社を祭った。
 元神社には、二百名程の人々が駐屯して警備に当ったが、明治元年(1868)戊辰戦争のぼっ発によって撤収するまでの十二年間慣れない土地での仙台藩士達の苦闘が、この陣屋跡に刻まれている。
文部省
白老町
 当掲示物の設置時期は記載無い。文部省は、平成13年に省庁再編により文部科学省となったからそれより前のことか。

 白老八幡神社に当社の棟札二枚が保存されてゐるのが、平成11年に宮城県の塩釜神社からの奉納旅行団が陣屋を訪れた時、八幡神社に保存してある資料を再点検してゐたところ発見されたといふ。棟札は明治44年の上棟式のもの、もう一枚は大正13年の大改築のものといふ(2)

 日高町の富川神社(大神宮社)の由緒には「明治三年(1870)諸藩分領制度施かれるや、仙台藩三好長五郎清篤等、この地に移住、先人が祀ってあった白老より明治八年六月十五日心のよりどころとして、この地へ遷し祀った。」としてゐる。

 当社参拝の後、仙台藩元陣屋資料館を見学した。見学者は私一人で、説明動画があると勧めてくれた。然し、汽車の時間の都合で断り、一人で見学した。宮城県丸森町で見つかった元陣屋の絵地図には浜の会所、元陣屋への道・元陣屋の建物、当社・愛宕神社等が記されてゐた。
 資料館を出て間もなく、愛宕神社跡への道標があったが、時間が無く駅へ向はざるをえなかったのは心残りだった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4


写真5


写真6・7  文化元年の灯籠、鳥居の扁額


出典・脚注
  1. 白老町史 昭和五十年三月三十一日発行 p.892
  2. 令和元年7月15日閲覧 白老八幡神社HP 歴史的貴重品 

改訂記録
  • 令和06.04.03 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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