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壮瞥神社 (北海道〈胆振〉壮瞥町滝之町)

参拝日 令和元年9月20日(金)
作成日 令和2年11月7日(土)
追記日2 令和6年3月13日(水)
よみ  そうべつ じんじゃ  
所在地 〈胆振管内〉壮瞥町滝之町245番地2 (42度33分26.99秒 140度53分5.98秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 壮瞥神社
祭神  明治大神(めいじのおおかみ)
由緒  元 村社
 北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)
由緒 明治時代末期より小祠が祀られていたというが、定かではない。大正八年十月五日壮瞥村独立二十周年記念祭にあたり村社公設の気運が高まり、村議会で決議のうえ翌九年八月五日に明治天皇を御祭神とする神社の創立を出願した。大正十一年十二月七日創立許可が下るが、村として一部願意に添わない点があり、先の出願があくまでも村社創立としてのものである旨を重ねて副申したところ、同月二十七日に氏子総代が然るべき者を神職として推薦し、本殿を改築しなければ村社にできないという条件で再度許可される。そして村民の協力により本殿を改築、昭和十年十月九日村社に列せられ、同十三年十一月三十日には社務所を建築する。昭和三十年九月二十日字阿波国の忠魂碑を境内に遷座、同三十九年九月十五日、社殿の腐朽が甚だしいため新たに社殿を造営し同年十二月六日には本殿に於いて奉幣祭並びに竣功祭が斎行される。昭和四十六年社務所の老朽化が進んだため神社の基本財産の一部の土地を売却、加えて氏子からの寄付等により社務所を新築した。
境内外摂末社 金刀比羅神社 金刀比羅大神 ・ 稲荷社 豊受比売神
雑記  壮瞥役場からは北へ0.6kmの所にある。
 かつて、胆振線が通ってゐたときは、壮瞥駅が最寄だったが昭和61年に廃線となった。

 当社から西4.4kmには明治43年にできた明治新山(三十四山)山頂、南西2.5kmには昭和19年に噴火して出来た昭和新山山頂が、昭和52年には有珠山が噴火し当社から西南西へ5.0kmに新有珠山山頂が出来て、平成12年にも噴火してゐる。20乃至30年置きに噴火すると云はれてゐる。平成12年から20年を経たので噴火の可能性が大きくなってゐるに違ひない。尤も、予知され事前の避難が為されるだらうから、人命への過度な心配は不要だ。
 かつて、昭和52年の噴火の何年か前に遠足に行った事があり、緑に包まれた銀沼の辺りはとても美しかった。ロープウエイが復旧後、登ったが緑は無く大きな火口がが出来てゐた。沼も何処にあったのかさへ判らない。火山の力は大きい。

 祭神は、明治天皇。明治神宮の創建は大正9年11月で同年八月に神社創立を出願してゐる。札幌神社が明治天皇を御祭神に加へ北海道神宮と改称したのは昭和三十九年。明治天皇を御祭神とすることに、中央の役所はどのやうな反応だったのだらう。千葉県土気町鎮座の明治神社では大正元年に「御神霊の分祀を戴き奉斎する」としてをり、容易なことだったのだらうか。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

この日は、お祭であった。出店はぼちぼち営業し始め、人出はこれからのやうだった。
鳥居は昭和三十一年十一月十日奉納。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

参道

写真3 社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真4 社殿(斜め前から)
写真4 拡大 (1280×960)

社殿(斜め前から)

写真3では狛犬の陰になってゐた「敬神敬祖」の碑があるのが判る

写真5 境内社(金比羅神社・稲荷神社)
写真5 拡大 (1280×960)

境内社(金比羅神社・稲荷神社)

金比羅神社の鳥居は木製、稲荷神社のは樹脂製。稲荷神社の社殿は珍しい形だ。
写真に入ってゐないが金比羅神社に向って左手に碑がある。「記念碑 壮瞥神社石段 金比羅神社 稲荷社 改築 昭和六十九月二十日落成」とある。

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

忠魂碑

陸軍中将 宇都宮太郎書
このほか、「壮瞥町英霊顕彰碑」がある。五十七名の町内住所・所属・死没年月日・場所が記されてゐる。また、小さな文字ながら、出征後親族が町外に転出した方六十四名が記されてゐる。

写真7
写真7 拡大 (1280×960)

有珠山噴火碑 碑文は、文字があるとは判るが、読むには至らない。親切に、碑文は隣に掲示されてゐる。
有珠噴火碑
嗚呼天地変化思量難物也計李明治四十三年七月二十二日有珠嶺鳴動吹上大空乎覆巖石玉霰散家居世留人民気弱手波久保内及蟠渓支庁與利毛土地人々皆力上田事務官大森博士佐藤大井上学士等急現場踏査世李二十五日床丹爆裂西湖畔爾波火噴起八月上旬奈賀良芙峰似在留乎之底漸鎮如斯奇跡後世武斗彫刻置久留奈武
 明治四十四年十一月三日
室蘭支庁従六位勲六等 服部太郎 誌須
久保内・蟠渓は、当地から東北東方にある町内の地。当地から15km余の蟠渓には温泉(明治17年開湯)もある。

御朱印
写真6 拡大 (640×459)



お忙しい中、御朱印を戴いた。何処にしまったか忘れたやうで、見つけ次第掲載します。


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.616

改訂記録
  • 令和06.03.13 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。
  • 令和03.01.04 御朱印の画像掲載

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