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久保内神社 (北海道〈胆振管内〉壮瞥町久保内)

参拝日 令和元年9月20日(金)
作成日 令和2年11月15日(日)
追記日 令和6年3月13日(水)
よみ  くぼない じんじゃ  
所在地 〈胆振管内〉壮瞥町久保内112-10 (42度34分48.01秒 140度57分42.19秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭神  山の神
由緒  神社庁包括外社
 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒 明治二十二年頃、下久保内に居住する小谷甚次郎・高橋保・鹿原作助・小竹与吉等が山の神と称する神社を祀ったのが始まり。開墾の際大木を切り焼払ったので山の神の霊を鎮めるために祀った。過去に三度遷座しているが、昭和十二年胆振縦貫鉄道工事の為に現在地に遷座した。昭和三十四年に南久保内の神社を合祀、昭和四十一年駒別神社祭神応神天皇を合祀した。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神 南久保内神社 大山祇神 昭和三十四年合祀 ・ 駒別神社 応神天皇 昭和四十一年九月十日合祀
雑記  壮瞥町役場から東北東へ7kmの所にある。
 かつて、胆振線が通ってゐた時は、久保内駅が最寄駅で西へ0.4kmの所にあった。由緒欄の「胆振縦貫鉄道」は伊達紋別-徳瞬瞥(後の新大滝)35kmを昭和15年に開通させてゐる。久保内は伊達紋別から17.1km。昭和19年に戦時買収され、胆振線となった。昭和61年に伊達紋別-倶知安間全線83kmが廃止されてゐる。
 祭神は、神話に登場する神名が特定されてゐなかったので、由緒にある「山の神」とした。神社本来の姿なのかと思ふ。

 本日の神社巡りは当社で終了。16:02、帰途についた。帰着時の走行距離は299km。距離はあるが信号は少なく、神社間でも30〜35km/hで走れた。結果15社と多くの神社を巡れた。
 町や村の中心となってゐる神社ばかりではなく、地区・部落の神社にも行ったことで、それぞれの由緒を知りえた。文書作成には時間を要したが、得るものも多かった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

鳥居は平成17年8月奉納。

写真2 社殿正面
写真2 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真3 社殿(斜め前から)
写真3 拡大 (1280×960)

社殿(斜め前から)

写真4 拝殿内
写真4 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真5 五角地神塔と山神碑
写真5 拡大 (1280×960)

五角柱地神塔と山神碑

少し変った神名があゐ。蒼玉姫命とか。

写真6 社殿遠景
写真6 拡大 (1280×960)

社殿遠景

写真7
写真7 拡大 (760×640)

お祭の案内

社頭にある物置に貼ってあったもの。獅子舞がある。北海道文化資源データベース(2)には
「1931(昭和6)年、久保内地区に移住した宮城県の入植者が、故郷をなつかしむとともに、地域の活性化のために伝承しました。獅子頭などの道具類は全て地域の住民でつくられたものだそうです。
 一時、後継者不足により存続が危ぶまれましたが、現在は若者も多く参加し、地域のイベントなどで披露されています。」
と紹介されてゐる。


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.1125
  2. 令和2年11月7日閲覧 北海道文化資源データベース久保内獅子舞

改訂記録
  • 令和06.03.13 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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