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作成日 平成21年 3月24日 |
追記日2 令和2年10月25日 |
よ み | たるまえさんじんじゃ |
・東西290km×南北270km ・当社は + の位置 |
・東西 1.13 km×南北 0.94 km、 ・本殿の位置に ○印 を記入 | |||||||||||||||
参拝日 | 〈胆振管内〉苫小牧市高丘6-49 (42度39分39.54秒 141度36分15.81秒)
| 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) HP等
| ・北海道神社庁 北海道の神社 樽前山神社
| ・Wikipedia:樽前山神社 ・当社HP 祭神
| 大山津見神(おほやまつみのかみ)
| 久久能智神(くくのちのかみ) 鹿屋野比賣神(かやのひめのかみ)
山麓に神祠(ほこら)を設けて祀ってゐたが、明治8年大山津見神に加へて2神を合祀し中心地矢代町に遷座、平成4年7月14日に現在地に遷座。
明治8年郷社(千歳・白老・勇払三群の総鎮守)、昭和11年県社、昭和61年別表神社。樽前山山頂には奥宮がある。
| 風琳堂主人さん(ブログ 樽前山神社の項(1) によると、氏子による祭神は瀬織津姫との主張(2)があったといふ。 【R02.10.24追記】 別表神社 旧 県社 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(3)。
境内にある掲示には次の様に記されてゐる。
雑 記
| 前々日にお祭りが終ったところで、駐車場は後片付け中なのか、名残が残ってゐた。
| 昭和40年代にお祭りにいったことがあるが、今その土地は空いてゐる。昔の神社の様子はよく覚ゑてゐないのだが、こんなに大きな神社だったのかと、驚きを感じた。人影は少ない。 夏は霧が多く涼しい苫小牧といふことで、大木からなる社叢林とはならず、建物の大きさが目立つ。とは言へ温暖化してきており、今後、樹木も生長してゆくことでせう。 錦岡樽前山神社には苫小牧市の有形民俗文化財ともされてゐる円空(1695年没)作の樽前権現像がある。この錦岡樽前山神社、そして麓にあるといふ樽前山神社には行ってみたいものだ。 【R02.10.24追記】 樽前山神社御造営記念誌の略年表(4)によると、次の様(70項の内から抜粋)、
*1 明治35年に苫小牧村他と合併して苫小牧村の一部となってゐる。苫小牧市域の西端で、当社から西南西へ20km弱の距離がある。樽前山神社(たるまえやまじんじゃ)がある。 *2 現在の地図ではここと思はれる。大正10年5月1日の大火(鯉のぼり大火)の「苫小牧大火概況図」(昭和52年 田中平美作成)より推定 *3 現在の地図ではここと思はれる。昭和50年撮影の空中写真より推定 *4 坊主山は、有珠川と苫小牧川の間の標高50m程の丘。 *5 苫小牧市の王子製紙敷地内に鎮座する。昭和35年9月11日鎮座。札幌神社は、現北海道神宮。 境内社には、写真に示した二社の他、聖徳神社(別途掲載 【追記ここまで】 |
【R02.10.24追記】
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) | ||
| 写真1 拡大 (1280×960)
社頭 鳥居は「御鎮座百二十年記念 平成七年九月吉日建立」とある。 社号標は木製。写真9参照。 | |
| 写真2 拡大 (1280×960)
鳥居をくぐって斜め右へ向ふと社殿が見える。社殿は東向き。 | |
| 写真3 拡大 (1280×960)
社殿正面 社殿前に置いてある平たい台は、碁盤目。道内では、11月となると雪が降りかねないので、ひと月早くに七五三参りが行はれるとも云はれる。それでも訪れた10月18日(日)昼前は、七五三のお詣りが途切れることなく続いてゐた。 | |
| 写真4 拡大 (1280×960)
社殿 少し斜めから撮影 | |
| 写真5 拡大 (1280×960)
奥宮(樽前山山頂)遙拝所 | |
| 写真6 拡大 (1280×960)
稲荷社 | |
| 写真7 拡大 (1280×960)
樽前天満宮
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| 写真8 拡大 (1280×960)
県社昇格記念碑(昭和11年七月建之)、向って右に顕彰碑(昭和43年、青少年角力功労者 村井常次郎翁)、左には明治天皇御製の碑(平成七年八月十五日、「余と共に語り伝へよ 国のため 命を捨てし 人の功を」 東郷平八郎謹書 終戦五十周年を記念して) | |
| 写真9 拡大 (1280×960)
社号標(木製) 社名の反対側には、宮司永井高明謹書 平成余年七月十五日建立 奉納三陽木材株式会社 と記されてゐる。三陽木材は市内柳町にある会社。 | |
| 御朱印(H20) 拡大 (1280×960)
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| 御朱印(R02) 拡大 (1280×960)
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改訂記録
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