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植苗神社 (北海道苫小牧市植苗)

作成日 令和元年7月13日
よみ  うえなえじんじゃ 地理院地図、東西 1.13km×南北 0.84km の範囲の地図です
(東西 1.13 km×南北 0.84 km)
参拝日  平成30年7月13日(金)
所在地  苫小牧市植苗175-1 (北緯42度43分20.32秒 東経141度42分28.12秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  
祭神  
由緒  神社本庁包括外神社
 苫小牧市史(1)には植苗地区の神社について次のやうに記してゐる。
植苗各地の神社  植苗地区はすでに述べたとおり、その初期においては六部落が別々に発達したため、神社の各地に設立された。
・植苗南地区神社
 小原宗四郎が讃岐の故郷より分神を受領してきたものを、すでに入地していた柄沢鶴吉とともに、明治三十二年ころ草分神社として設立、当地北炭に山神の立派な神社があったが、これとともに併合した。御神体は八幡様である。祭日は旧暦八月十五日であった。
・植苗中央区神社
 植苗駅前に家を建て萬屋の店を経営していた渡辺喜蔵の屋敷内にまつってあったお社を分神し、道地忠八所有の土地に社地を設け中央神社とした。祭神は八幡様で、祭日は九月十五日である。
・北地区神社
 北三線の市道、旧植苗小学校前から200メートル入ったところに、間口七間、奥行五間余の社を構え、まわりをエゾ松にかこまれた神社で、祭神は八幡様、祭日は九月十五日である。
・美沢地区神社
 美々道路のちょうど中間点近くの中間点近くの丘の上にまつられたお社、美々の住人長谷川友蔵の言によれば千歳神社の分神であるという。
 祭神は天照大神で、祭日は九月五日である。
・西地区神社
 西地区は木材、製炭、製薪と木に関する事業が多かったことから、山に入った事業者が山の神を祭った。大木に『ごへい』をまわし、鳥居を建てていたが、これを社屋に入れるようになって神社となった。場所は遠藤治良所有の丘の上に祭った。祭神は山の神、祭日は九月十二日である。
・植苗神社
 南、北、中央、美沢の四つの御神体を一ヵ所に合わし、祭日を九月十五日としてお祭りすることにした。しかし、いろいろな問題から失敗があり、10年後の昭和三十一年に第一回の合同祭りが行われた。翌三十二年には各神社の解体移転が行われ、再建され、ここに完全な合同が完了した。
雑記  千歳線植苗駅から北西へ2.7kmのところにある。

 「植苗神社御造営寄付者芳名」碑があり、そこには、「平成十一年九月 社殿建立」と刻まれてゐる。また、拝殿内には「平成11年完成 植苗神社」と題した四枚組の写真が掲げられてゐる。
 手水鉢は平成二十七年九月奉納、社地の隅には昭和三年の年記のある手水鉢が捨置かれてゐるかのやうにおかれてゐた。灯籠一対 平成十五年九月、狛犬一対 平成十三年九月奉納。

 社殿に向って左側に「航空機騒音植苗測定局」が道により設置されてゐる。新千歳空港滑走路は南北に二本あり、南端は当社から4.6km北にあるから、発着進路上にある。

 例祭は、九月十五日(2)

写真

鳥居には「S.43.9 開道百年記念 建 丹治林業」とある。参道脇には一等水準点(4.4m)があった。





祠には「植苗神社合祀満弐拾周年記念として植苗美澤地区の山ノ神神社修復に当り(以下略)」とあり、遠藤治良氏の名も記されてゐる。由緒欄に転記した「西地区神社」に当ると思はれる。

「馬頭観世音」は「大正九年九月十五日」、左の碑には「大正八年八月」と年記がある。

脚注
  1. 『苫小牧市史 下巻』 昭和51年 p.1922・1923
  2. 『樽前山神社御造営記念誌』樽前山神社社務所 平成五年十一月 p.55


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