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大町寿稲荷神社 (北海道苫小牧市大町)

参拝日 平成30年8月26日(木)
作成日 令和元年7月13日(土)
追記日 令和6年4月3日(水)
よみ  ─  
所在地  苫小牧市大町1-2-15 (北緯42度37分49.69秒 東経141度35分46.44秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭 神  ─
由 緒  神社本庁包括外神社
 『北海道縁起物語』には次のやうに記されてゐる(1)
大町寿稲荷神社   苫小牧市
 大正九年頃(1920年)苫小牧の浜は鰯の豊漁で賑わいをみせていた或る日のこと、偶々漁に出ていた佐々木某の網に稲穂を担いだ一寸八分(五糎四耗)の黒づんだ稲荷がかかり、引上げられた稲荷は富をもたらす神ということを聞いていた佐々木某は早速持帰り、自分の神棚に祭った。ところがこの稲荷、実は純金彫りであったこともあって内緒にしていた。
 このことを偶々耳にした同僚の井上某は、地域の人達の守護神にして祭って皆の御利益を得ようと自分の住んでいる土地を提供して祠をたてたもののどうしたものか尊像は一向に納められず、止むを得ず空神体のまま諸祭が行われていたが、昭和三年頃(1928年)になって祠付近一帯に火事が続発し、人々は或いは稲荷の怒りでは、と真剣に考え有志等は憂慮の余り東京に出向いて伏見稲荷にお伺をたてた。すると昔、白い狐が棲んでいて悪戯をして人々を困らせていたところであり、”祭事は続けなさい”との託言があったので従来通り続けてはいたが、空尊体ではと心を痛めた有志は、昭和三十七年頃(1962年)に至り、京都の伏見稲荷より分霊を奉戴し、”大町稲荷大明神”と呼んだが、その後町名変更により大町寿稲荷神社と改称していまに至っている。
雑 記  室蘭本線苫小牧駅から南へ0.9kmの所にある。

 鳥居には「沖一郎」氏の名が。最近知ったが、市役所の南にある沖医院の院長であり、苫小牧医師会会長を務めてゐる。苫小牧中央図書館に行った際、沖医院寄贈の病原細菌・ウィルス図鑑(\60000-)を目にして、苗字が一致することから調べたら院長と判った次第。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4


出典・脚注
  1. 『北海道縁起物語』小林光成著 平成4年5月1日発行 p.200

改訂記録
  • 令和06.04.03 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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