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早苗別揚水機場神社 (北海道〈石狩〉江別市東野幌)

参拝日 平成30年11月2日(木)
作成日 令和2年2月22日(土)
追記日 令和6年3月26日(火)
よみ  さなえべつ ようすいきじょう じんじゃ  
所在地  〈石狩管内〉江別市東野幌741-1 (43度4分58.95秒 141度34分36.43秒)
 地図:地理院地図
    いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭 神   水天宮(安徳天皇?)
由 緒  北海道神社庁誌によると次の様(1)
所在地 江別市上江別724番地
例祭日 九月十八日
神職  一、奉仕者 内田悟
 住所は現在地に移転前のもの。神職は、江別神社宮司。

『早苗別揚水機場神社』の話し(2)によると、次の様。
  • 大正12年に江別で初めて土巧組合が認可され、早苗別揚水機場が建設された時、その敷地内に早苗別土巧組合が建立した神社で、揚水機場完成の二三年後に建てられたといふ。場所は、早苗別放水路と千歳川の合流点で現在地から西北西へ1.5km。
  • 昭和四十三年に江別揚水機場が完成したのを機に新しく出来た江別揚水機場の敷地に移転した。
  • 平成二年に社が老朽化したため新築し、旧社殿はその場で御炊上げした。改装の間、御神体は江別神社の保管した。
  • 平成十四年に神社のある場所に揚水機場が建替えられたので、神社も記念碑も総て移動した。
  • 通水式が5月8日に、断水式は例大祭の9月18日に行はれる。
雑 記  函館本線江別駅から南南東へ3.5kmの千歳川左岸側にある。
 碑が二つ立ってゐて、古い方の碑は次のやうに刻まれてゐる。
早苗別開発の碑
石狩川開発建設部長 市瀬 勲書
見はるかす広漠たる泥炭地帯の畑作営農より脱皮すべく乏しき経験と未熟な技術加うるに気象の不安を蔵しつゝも千歳川の恵を求め米作の将來に遠大な希望を期し開田の臍を固め協同親和による堅固な團結を結ぶ同志二十五名は幾多の困難障害を越え大正十二年早苗别土功組合の設立を成し遂げた
工を起すや先進の技術を採り入れ当時石狩管内初の画期的揚水機による灌漑二百ヘクタールの造田を完遂するに至つた先輩の炯眼に畏敬しその不屈な努力は偲ぶに余るものがある 其の后幾変遷を経昭和二十七年早苗别土地改良区と改組更に国 道 市 の慫慂により土地基盤整備の促進農業近代化の飛躍を策し江别市内篠津 豊幌 野幌土地改良区と共に四区の合併実り昭和四十一年六月江别土地改良区早苗别地区として新発足を見るに至る 本地区の連年水害を克服すべく国の治水事業千歳川改修促進に伴い揚水機場移設補償の実施を契機に本地区に近接の下の月 豊星 中原を統合し本地帯内水の湛水被害絶無を期し揚排兼用の機場たらしめその効率を発揮すべく此地を選び新鋭な設備を誇る江别機場の完成を遂ぐるに至る
本地区の開発は渾々として近く着工の運びを見る道営開拓パイロット事業を擁しこれ等事業の完成后には区域面積は実に四百余ヘクタールとなり其の将來は眞に刮目すべきものなり 憶うに四十有余年に亘り献身的努力を捧げた先輩各位と関係官公庁の深い理解と盡力の賜を銘記すると共に時恰も開道百年江別開基九十周年を卜し碑を建立その沿革の一端を錄し先人の偉業を永く後世に傳え本地区永遠の隆昌を希うものである
   昭和四十三年八月
 碑文の用字は、一部に正字が使はれてゐるので、できるだけそれに倣った。変・区・国・庁などは略字(当用漢字字体)が使はれてゐる。さういへば、江別・早苗別の別は「别」と教はり覚えてゐたが、あるとき気づいたら世間では「別」の文字になってゐた。昭和40年代初めの頃と思ふ。
 碑文の読取りがたい部分は『早苗別開発の歩みを記した「早苗別開発の碑」』(3)を参照した。
 碑背には、事業主体を始め様々な関係者名が刻まれてゐる。その中の功労者に故人だが祖父(昭和60年没、85歳)の長兄の名があった。大正13年からの揚水機場と総延長5.8kmの盛土の水路建設工事監督を担ってゐたといふ(4)。父が「早苗別」の云々と云ってゐることがあったのを記憶してゐる。それで、どんなところかと思ひ、当地を訪れた訳だが。
 歴史的には、当地は屯田兵への追給地とされたが、低湿地でほとんど耕作されなかった。明治三十年代になり、譲渡が可能となり、一般人の入植が始った。明治四十年代から大正初めには畑作が広がってゐた。

 開発の碑の隣には、新しい碑がある。題は無い。碑文は次の様。(横書)
碑文
 当早苗別地区は大正15年に開田創□を行い、この間たび重なる水害に悩まされ、地域住民の熱望に依る河川改修がなされ、昭和43年上江別に設置されていた揚水施設が石狩川開発建設部の移設補償工事により揚排水兼用の最新の施設として、江別揚水機場がこの地に移設完了した。お宮も移設し大正15年から40年以上も使用していた18吋ポンプ、75馬力モーターも展示した。また先人の労苦をしのび開田記念碑を建立した。
 平成12年石狩川河川改修に伴う移設補償工事が、北海道開発局石狩川開発建設部江別河川事務所により実施され、平成14年8月、現在の揚水機場が完成し、併せて記念碑、お宮、展示小屋、物置等も平成14年9月10日までに移設完了した。
 この施設が地域の田畑を潤し大雨災害時には機能を発揮し、災害を未然に防ぎ地域農業の発展に寄与するものと願うものである。
 平成14年9月10日
江別土地改良区 理事長        氏名
江別土地改良区 早苗別地区管理組合長 氏名

 揚水機場の水利使用標識によると、許可されてゐる取水量は、5月10日〜19日は0.7274m3/秒 (6.28万立方メートル/日)、5月20日から8月31日は0.4865m3/秒となってゐる。灌漑面積は135.5ha。

 当社には、16:30近くに着いた。夕張鉄道線路跡(キラキラ街道)を通って野幌まで行きたかったので、真っ暗にならない内にと、15分程の滞在で出立した。写真では、暗さが判りがたいが、解像度が落ち碑文の文字が不明瞭になってしまった。一工夫が必要だったが後の祭り。
 走り出して間もなく闇がやってきて、ライトを点灯して走行。通行車両も増え、周囲を見る余裕が無いまま、野幌駅付近では、もう夜になってゐた。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  拡大(1280×960) 千歳川(旧称江別川)左岸堤防上から見た揚水機場と神社     

写真2  左にみえる四角い建物は揚水機場



写真3  左の屋根で覆はれてゐるのは、展示のポンプ・モーター


写真4  灯籠は平成15年9月吉日と年記がある



写真5


写真6  位牌型は「早苗別開発の碑」
     開発の碑拡大: (1500×2000) (960×1280)


写真7  拡大(1280×960) 揚水機場横の千歳川。写真の奥方向にある石狩川へ向つて流れる。塔が写つてゐるが、右岸側にある江別太遊水地の排水門部分で、遊水地は令和2年度から共用された(5)
 昭和56年に大水害があった。堤防は地盤が泥炭地のため沈下する、石狩川からの逆流があるので堤防は同等な高さが必要、内水氾濫が発生しやすい、といった課題が上げられてゐたが、遊水地は対策の一つとみえる。河川敷の低水路の拡幅や高水敷の切下げも必要ながら、植生の維持しながらと云ふ難題がある。  
 遠くに雪を抱いた山が見える。塔の後方に見えるのは、多分、増毛山地のピンネシリ 1100m、待根山 1002m、右側に隈寢尻山 973m。江別からは遠くにしか山は見えない。



出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.807
  2. 令和2年2月18日閲覧 キムドン地域の歴史研究 上江別地域の歴史 (63)早苗別揚水機場神社の話し
  3. 令和2年2月18日閲覧 キムドン地域の歴史研究 上江別地域の歴史 (28)早苗別開発の歩みを記した「早苗別開発の碑」
  4. 令和2年2月18日閲覧 キムドン地域の歴史研究 上江別地域の歴史 (22) お米作りのはじまり、早苗別土工組合の話
  5. 令和6年3月26日閲覧  国土交通省 令和2年度から千歳川遊水地群が供用開始 令和2年3月27日付けプレスリリース

改訂記録
  • 令和06.03.26 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真:番号を附した・拡大写真追加・写真7と所感追加。

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