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巣守神社 (北海道〈石狩〉江別市中島)

参拝日 令和元年5月29日(水)
作成日 令和2年7月18日(土)
追記日 令和6年3月20日(水)
よみ  すもり じんじゃ  
所在地 〈石狩管内〉江別市中島34 (43度8分46.42秒 141度30分15.88秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭神  (一般には、守門岳(1537m)を祀る)
由緒  神社庁包括外神社
 『えべつ百話』の 「60話 一人ひっそり巣守神社 篠津中島」(1) によれば、概略、次の様。
 この地に明治30年代末に入植した越後の北魚沼郡広瀬村出身の佐藤栄次郎は広瀬村巣守神社の神符を懐持してきた。
 この地は、元は対雁(2)と地続きで、地名は対雁川下だったが、昭和8年に石狩川の蛇行部分を短絡したため四方を馬蹄形の旧石狩川と新水路に囲まれた地域となり昭和10年の町字名改正以降、中島となった。対岸へは昭和37年に橋ができるまで渡船が使はれてゐた。(著者の推測だが)巣守神社の神符が部落の鎮守へと昇格した。
 神社は当初、石狩川右岸の川縁にあったが、水害や築堤工事などで幾度か移転する。前出の長島によれば、川縁から現在地に移ったのが昭和30年頃。その折、市街の細田大工が拝殿を新築、一間下りに神殿を置いた。その後、雨雪で不興の恐れありと、集会所を新築、その中に神、拝殿を設けたといふ。
 昭和60年ころに篠津神社に合祀の話があったが、現在も中島の部落で祀ってゐる。
雑記  石狩川右岸側にあり、函館本線江別駅からは北西へ6km余の所にある。

 建物は、神社らしくないと思った。中を見られなかった。由緒欄の記述で納得した、雨雪を防ぐ覆屋であった。
 当社から正面、道路を隔てた少し先(東)に大木があった。江別市web頁(2014年更新)(3)によると、春楡(あかだも)で、樹高29m、直径113cm、樹齢171年といふ。根元に石碑があるのが見えて気になったが、私有地で足場も悪そうで、確かめなかった。
 由緒欄にある「広瀬村」は、只見線魚沼田中駅から越後須原駅にかけての地域の村が明治22年に合併して発足し、現在は魚沼市の一部となってゐる。そこから北東20km程の三条市界に標高1537mの守門岳がある。巣守神社は複数在る。(尚、長岡市東部の栃尾にも巣守神社がある。そこからは、南東に守門岳がある)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
全景、斜めから撮影
写真1 拡大 (1280×960)

社殿正面
写真2 拡大 (1280×960)

畜護神之碑
写真3 拡大 (960×1280)

畜護神之碑。馬と牛の顔が描かれてゐる。
碑背には「昭和十年十一月十五日 建之」とある。

出典・脚注
  1. 『ユベオツ選書1 えべつ百話 上巻』「60話 一人ひっそり巣守神社 篠津中島」 平成18年 藤倉徹夫著 p.54-58
  2. 対雁:ついしかり。津石狩が対雁に転じた。
  3. 江別市保存樹 No.114

改訂記録
  • 令和06.03.20 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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