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文教台神社 (北海道〈石狩〉江別市文教台)

参拝日 令和元年5月29日(水)
作成日 令和2年7月25日(土)
追記日 令和6年3月20日(水)
よみ  ぶんきょうだい じんじゃ  
所在地 〈石狩管内〉江別市文教台7-3 (43度3分53.44秒 141度29分47.11秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭神  開拓の三神(大国魂神、大那牟遅神、少彦名神)
由緒  社頭に由緒が掲示されてゐる。掲示文は次の様。
文教台神社 社記概要
祭神 開拓の三神
大国魂神 偉大な国土の神霊の意。
大那牟遅神 多くの名を持つ神の意で、大国主神をさすと解されている。
少彦名神 体の小さい男神の意。その昔、大国主神と協力して国作りに活躍された。
由緒 昭和二十一年札幌市苗穂の旧陸軍糧秣廠内に鎮座の神社(現瑞穂神社)の神霊を、当地の開拓者加藤賢司氏(戦時中、糧秣廠主計将校)以下の崇敬者が奉斎し、当地の鎮護の神としておまつりしたのがはじまりである。
 野幌神社の摂末社。
雑記  函館本線大麻駅から南へ0.8kmの所にある。

 本日は江別市内の神社を巡ってきた。当社は九社目。
 いままでは、開けた田んぼの中の様に人口密度の小さい所だったし、棒杭神社を訪れたいのが第一だったから、当社の様に人口密度の高いところには違和感を感じてしまった。ここから近いところに稲荷神社があるのは承知してゐたが、市街地或は住宅地にある神社を訪れる気持になれなく、帰途につくことにした。一種の達成感だったのだらうか。
 尤も、帰途、北広島市と札幌市の各一社を参拝してゐるが。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
全景
写真1 拡大 (1280×960)

全景

正面
写真2 拡大 (1280×960)

正面

社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

社殿、斜め前から撮影
写真4 拡大 (1280×960)

社殿、斜め前から撮影


出典・脚注
  1.  ─

改訂記録
  • 令和06.03.20 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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