神社訪問記HP北海道石狩管内 > 新篠津村

新篠津中央神社 (北海道〈石狩〉新篠津村)

参拝日 令和元年6月29日(土)
作成日 令和2年8月1日(土)
追記日 令和6年3月20日(水)
よみ  (未確認)  
所在地 〈石狩管内〉新篠津村第42線北2 (43度12分47.84秒 141度37分19.00秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
HP等  ─
祭神   (未確認)
由緒  神社庁包括外神社
 新篠津村史(1)には次のやうに載ってゐる。
中篠津のこの神社だが、その由緒は明治二十八年九月十五日の建立で、許可申請記載文によれば「明治三十年中、伊勢大神宮ヨリ御鏡ヲ受ケ仮二之ヲ奉祭シ来リシニ…」とあり、この地区に入地した人たちの中心祭神としてきたことは事実で、いらい中篠津地区氏子の守護神としてこんにちまでまつられてきた。社名は「新篠津中央神社」といい、また「第三部神社」ともいっている。所在は四十二線北二番地。
雑記  新篠津市街の役場から西南西へ2.4kmの所にある。
 東1kmほどの所には、しのつ湖(元は石狩川、昭和初期に三日月湖となった)がある。
 地理院地図では社殿と道路の間に沼様の記載があるが、訪れたときには全く水は無く、湿地と思へるところも目にしなかった。社前の道路、江別奈井江線はまっすぐ東西に走ってゐるが、かつては沼を避けるやうに曲ってゐた。神社へも二の鳥居前あたりから南西への道があり沼を避けてゐたのかと思ふ。乾いたか客土かで南からの参道が通じたと想像する。
 

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

社号標は「中央神社」、台には寄贈者名がいろは順に刻まれてゐる。碑背には「昭和三十七年九月十日建立」とある。

奥に見える二の鳥居の扁額には「新篠津中央神社」とある。

写真左端に写ってゐる石碑は、馬頭観世音で昭和九年十月二日建之とある。

参道
写真2 拡大 (1280×960)

参道

写真手前の灯籠には「皇紀二千六百年」と氏名が刻まれてゐる。
奥の灯籠には「昭和二十五年建□」と氏名が刻まれてゐる。(□:判読不可)

社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

社殿内を拝見すると、平成二年に鳥居を建てた記録があった。

写真右下に写ってゐるのは手水鉢で、横にして水が溜らぬやうにしてあるのだらう。年記「大正十三年九月」と寄贈者名五名の氏名が刻まれてゐる。

狛犬
写真4 拡大 (960×1280)

狛犬

皇紀二千六百年と刻まれてゐる。皇紀二千六百年は昭和15年。

社殿側面
写真5 拡大 (1280×960)

社殿側面


出典・脚注
  1. 『新篠津村史』昭和五十年九月刊 p.683

改訂記録
  • 令和06.03.20 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)


inserted by FC2 system