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第一川上神社 (北海道〈石狩〉新篠津村)
参拝日 令和元年6月29日(土)
作成日 令和2年8月1日(土) 追記日 令和6年3月20日(水) |
未確認
| 〈石狩管内〉新篠津村第47線北62 (43度16分0.18秒 141度38分47.45秒)
| 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) 参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等
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| 祭神
| 大国魂命
| 大巳貴命 少名彦名命 神社庁包括外神社
| 新篠津村史(1)には次のやうに載ってゐる。
社殿内の掲示には次のやうに記されてゐる。
雑記
| 新篠津市街の役場から北へ4.6kmの所にある。
| 石狩川が東側を南流してゐる。堤防が高く、堤防内側から川面は見えない。ここにに限らず堤防に登るか橋を渡るとき位しか目にできない。 地点別浸水シミュレーション(2)を国土交通省が公開してゐる。当地の破堤箇所を指定しての時間を追っての浸水状況が見られる。見ると、ほぼ村内全域が浸水と予想されてゐる。 昭和56年には、江別市の千歳川の石狩川合流地点に近いところであと1mで越水といふところまでに水位は上昇した。当時500年に一度の洪水と言はれた。今から見ると、北海道の歴史をどれだけ知っての事なのか、人が多く住むやうになり大きな被害は早晩起きるのではないか、等と思ふ。堤防や揚排水機は現状で満足してはゐないと思ふが、ここ二十年ほどの風潮ではコンクリートから人へ等と云ひ、結局手つかずのままなことがまかり通って被害を蒙る例(3)が発生してゐるので、改めて治水の大切さを再確認したい。 尚、私の住んでゐる地域の相模川については、浸水シミュレーションで何処を破堤指定しても同じ浸水の仕方で、不完全なシミュレーションに少々がっかりした。 写真に撮ってきた社史なり由緒書なりを帰宅して読まうとして、読めないのは残念なこと。そこで最近のカメラについて調べてみた。今使ってゐるカメラは、購入からの3年で8000枚近く撮影してきたし、ストロボが使えなくなってゐることもあるので。 コンパクトカメラは生産撤退により選択肢が限られてゐる。 結論 故障したら、(1)同じ機種(広角19mm・249g・素子サイズ1/1.7)を購入、又は、(2)Canon PowerShot G5X MARK II (広角24mm・重量340g・F値1.8〜2.8・素子サイズ1.0型、11万円余)。 忘れないよう、記しておく。 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) |
写真1 拡大 (1280×960) 社頭 社殿に向って右の方に地神塔がある。昭和四十年九月社日氏子一同建之、とある。三社神社の雑記に記した「地神碑(上篠津)」はこれのことかも知れないが、真偽は不明。 |
写真2 拡大 (1280×960) 鳥居と社殿 灯籠には「奉献」「昭和五十一年九月吉日 氏子一同建之」と彫られてゐる。 |
写真3 拡大 (1280×960) 社殿正面 |
写真4 拡大 (1280×960) 社殿内 正面がガラスなので写させていただいた。二重窓(扉)のため、反射の映り込みを防げなかった。 |
写真5 拡大 (1280×960) 社前から鳥居を望む(西向き) 写真右端に手水鉢が写ってゐるが、保護のためかシートに覆はれてゐる。 |
出典・脚注
改訂記録
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