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東裏神社 (北海道〈石狩〉当別町東裏)

参拝日 令和元年6月29日(土)
作成日 令和2年8月8日(土)
追記日 令和6年3月19日(火)
よみ  ひがしうら じんじゃ  
所在地 〈石狩管内〉当別町東裏2796-3 (43度12分36.75秒 141度33分3.16秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 東裏神社
祭神  神武天皇(じんむてんのう)
由緒  北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)
由緒 明治二十九年大江彦次郎が土地を寄附し東裏殖民神社として神武天皇を奉斎し、四月三日・九月七日を例祭日とする。昭和四十三年社殿を改築。大正五年より後藤玄良が祭典を執行、東裏神社と命名する。昭和五十五年老朽と坪数の不足の為、九十一戸より二千四百万円を募金造営する

 「御鎮座百年」の碑文には次のやうに刻まれてゐる。(写真5参照)
御鎮座百年
   東裏神社宮司 後藤正義謹書
(碑背)
明治二十八年神武天皇を奉斎 幾多の変遷あれとも、
郷土の鎮守とし、氏子の心の寄り処として此処に百年を迎えり
昭和四十六年宗教法人「東裏神社」と命名
昭和五十五年現在の社殿の竣成、平成六年御鎮座百年祭執行
  平成六年九月六日
              東裏神社 御鎮座百年協賛会

 社頭の掲示には次のやうに記されてゐる。
東裏神社沿革

創建   明治二十八年六月
鎮座地  当別町東裏2554番地
祭神   神武天皇
宗教法人認可 昭和四十五年十一月二十六日
所属宗派 神社神道
例祭日  九月七日
境内面積 4099、16平方メートル
移転   昭和三十一年八月八日
      東裏32線北六番地より現在地に遷座
社殿の改築 昭和五十五年八月三十日
雑記  札沼線(学園都市線)北海道医療大学前から南へ2.2kmの所にある。

拝殿内には、戦没者追悼の詩 山下一雄作と東裏神社氏子戦没者御芳名十四名が記され掲げられてゐる。終戦四十周年記念 昭和六十年八月十五日と年記がある。


下記写真以外の石像物には次の物があった。

・手水鉢は、立太子禮日記念、平成大典記念の二基が並んでゐる。立太子禮日記念の鉢は、側面に「大正五年拾一月 當别村字東裏植民」とあり、背面に地在郷軍人と題して十七名の氏名が刻まれてゐる。平成大典記念の鉢は「平成二年九月七日 岡本石材工業」と刻まれてゐる。他に、割れてはゐるものの地神碑と赤い屋根の建物前方辺りに置かれた物がある。
・狛犬 「昭和二十七年四月三日建立」の他奉納者七名の氏名が刻まれてゐる。
・灯籠 昭和二十六年四月三日建立
・「開町百年記念」の碑 「われ人に恵みしことは忘れでも 人の恩をは永く忘るな 北条□□作」と刻まれた碑があり反対面には「抜苦興楽 国を愛して楽しき郷土 山下繁合掌」と刻まれてゐる。台には「昭和四十五年 開町百年記念」とある。
・植樹の碑  松の樹の傍らに自然石に趣旨が彫られてゐる。文は「東裏神社御造営及札幌移転記念 昭和五十五年九月吉日植樹 奉納水松一本 (氏名略)。離農したのかな、と勝手な推測。

 鳥居に向って右手に大きな碑がある(写真6)。背面に碑文がある。彫りが深く読みやすい反面、距離がとれず上の方の文字は読みにくい。漢字はそのままの字体で転記した。
東裏開基百年記念之碑
       当別町名誉町民近藤辰雄書
(碑背) 碑文
東裏は当別町の南東に位置し面積約一〇三〇町歩にして篠津原野の一部であり部落名は東裏と公稱する  抑もこの地は原始林 たも なら いたや等の大樹鬱蒼として昼尚暗く茫々なる葦原と連なり羆 鹿はもとより多くの野獣出没セリ  明治十八年山口県より單身入植した三吉善蔵氏により鍬を打ち下ろしたのが部落の草創なり 年進み陸続として移住した者の開拓魂は千古斧鉞を見ぬ大自然に立向い大樹草根を切り起し 鍬 鋤を以て野獣と闘い酷寒風雪に耐えながら百折不撓で父祖相扶け血と汗で未開の大地を切り拓く困難は 言語に絶するものなり 時移り大正初期には東裏 川南土功組合が発足 西武地区水稲栽培計画が進み大正十四年には一五〇町歩の開田を見る 更に幾多の変遷を繰返し満州事変に続いて起る大東亜戦争の激化により道内県外の大都市疎開対策による緊急入植に併せて戦後外地引揚者により急激に戸数の増加を見 昭和三十年には一三五戸を数える 時同じくして篠津地域泥炭地開発事業の着手により急速に水田造成開田面積も八七〇町歩におよび 穣り豊かな郷土となる 又文化的発展も著しいものがあり道路橋梁 学校 水道 消防 電化 電話 保育所等の建設が進み 更に農業経営の近代化と豊かな生活を見るに至る
星霜茲に百年 先人の開拓の労を偲び父祖先覚者の偉業を讃え 子々孫々に伝えんと  この碑を建立する
         昭和五十九年八月吉日

(このほか、幾人もの篤志者名が刻まれてゐる)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

社号標背面には、次のやうに刻まれてゐる。
光陰矢の如く 歳月は水の流れの如し 心の寄り処とする東裏神社の御鎮座一〇〇年を新たに御造営成りて一〇年を経過、又部落開基一一〇年を迎えたり 我等先の東裏部落開基一〇〇年記念事業協賛会の有志相謀り当社に社号碑を奉納し、永く氏子の安泰と繁栄とを祈念しつゝ建立す  平成六年九月七日
尚、台石には奉納者七名と平成五年七月八日建立とある。台と標部分が別々に納められたのだらうか。

社殿正面
写真2 拡大 (1280×960)

社殿正面

社殿斜めから
写真3 拡大 (1280×960)

社殿斜め前

石像物等
写真4 拡大 (1280×960)

石像物等
向って右から、
・「牛馬観世音」(昭和二年三月建之)、
・「馬頭観世音菩薩」(東裏北部 第一青年、昭和二十四年四月 東裏北部第二農事実行組合青年部一同)、
・赤い屋根の建物(詳細不明)
・地神碑(天照大御神、大貴巳貴命、誉田別命、少名彦命、稲倉魂命魂の五柱。大正十三年産月二拾日建之、発起人八名の氏名)

御鎮座百年の碑
写真5 拡大 (1280×960)

「御鎮座百年」の碑

東裏開基百年之碑
写真6 拡大 (1280×960)

東裏開基百年之碑

鳥居に向って右手にある。
碑背には碑文が刻まれてゐる(雑記欄参照)


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.276

改訂記録
  • 令和06.03.19 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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