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材木澤神社 (北海道〈石狩〉当別町上当別)

参拝日 令和元年6月26日(土)
作成日 令和2年8月15日(土)
追記日 令和6年3月19日(火)
よみ  ざいもくざわ じんじゃ  
所在地 〈石狩管内〉当別町上当別2352-4 (43度13分28.83秒 141度28分58.96秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 材木澤神社
祭神  天照大御神(あまてらすおおみかみ)
由緒  境内にある掲示板には次のやうにある。
材木沢神社沿革

 当地域は明治二十二年以降より徳島県人、新潟県人等が集団移住し、明治二十八年材木沢部落と公称する。それぞれの県人有志により、同地域に二社を設立し、祭事も各社別々に行なわれた。こうしたことから地域の一本化を望む話し合いが実を結び、明治三十五年九月、現在地に社殿を造営して「材木沢神社」と命名した。
爾来今日に至り、平成十四年九月八日御創祀百年を迎えた。

社名 宗教法人 材木沢神社
御祭神 正一位稲荷大明神、地神五柱
(天照皇大御神・大已貴命・少彦名命・稲倉安姫命・大国魂主命)
創立 明治三十五年九月十八日
鎮座地 当別町字材木沢3252番地の4
法人認可 昭和二十七年四月 宗教法人「材木沢神社」
所属宗教   神社本庁
境内面積 3951平方米
例祭日 歳旦祭・春期祭・秋期祭(九月八日)
御造営 第一回 明治三十五年九月十八日造営し御創祀
第二回 大正五年 改築
第三回 昭和四十八年九月七日 改築 総面積62.7平方米
建築構造 木造一部ブロック造り。
  (奉納 氏名略 平成十四年九月八日)
 
 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒 明治二十二年四月徳島県阿波団体十一戸入植、天照大神と地神五柱の大神を奉斎する五角柱を建立、一方明治三十年小樽から転住した新潟県人田辺寅吉が稲荷大神を祀り祭事を行っていた。明治三十五年九月現在地に社殿を造営合祀し材木沢神社と名称を改める。大正十三年四月皇太子殿下御成婚記念として土地五町歩を購入し落葉樹五千本を植樹した。大正五年三月社殿を改築総坪数十六坪、昭和四十八年山林四九、五八六m2を七百万円で売却、同年九月三十日五五〇万円でブロック積神明造り社殿竣成現在に至る。
雑記  当別町役場から西へ3.0km、札沼線(学園都市線)石狩当別駅から西へ2.7kmの所にある。

 材木澤開基百拾年之碑が社殿に向って右の方にある。(写真2・4参照)
材木澤開基百拾年之碑
  北海道知事 横道孝弘書
碑文
樹木うつ蒼として熊笹繁る此の地に入りて斧鍬を振い大自然にいどみ苦闘言語に絶するも流汗の中で開墾に着手するは 明治十四年瀬戸勘三郎氏が草創んり 年進み明治二十年以降 石川県より平佐三郎氏を初めとし徳島県等より集団にて移住 岡田農場等の設置あるも開墾容易ならず精魂込めた作物も野獣に荒され 更に水害に見まわれ収穫皆無にして止む得ず出稼するも度々なり 開村当時 伐採した木材が堆積され木材が豊富な沢であるころから明治二十八年部落名 材木沢と公稱する 田の沢は 水田の発祥地として此の名を稱し水田の試作が行われるもその成果あがらず畑作の自給食料確保が精一杯なり 明治四十年 戸数七十九戸に達せり 大正に入りて全面的に開拓が進み大正二年 当別土功組合により灌がい溝が貫通し大正六年には中央排水の竣工を見るに至り 水稲栽培が盛んになり営農意欲をかきたて 農業基盤の確立を見る 大正八年 材木沢より分離して上当別部落が誕生する 全盛時 戸数八九戸あるも後 漸減する 昭和に入りて幾多の変遷を繰返し苦難の道を克服して 茲に平成を迎える 現在戸数一二〇戸 水田面積四〇〇町歩を経営する稔り豊かな郷土となる 今や 文化 経済 産業 建設等著しい発展を見 更には農業経営の近代化と 豊かな生活を見る星霜 茲に 百十年 今日材木沢発展の礎石を築いた先人達の苦闘の足跡を偲び その偉業を讃え感謝して 之を子々孫々に伝えんとこの碑を建立する
  平成二年九月八日
    材木沢開基百十周年記念事業協賛会
松野英治 謹書
   (熟語の交ぜ書き、数字表記、字体は碑文のママとしてゐる)

・狛犬 大正十五年九月十八日 逢坂安太郎
・社号標 昭和四十八年九月 奉納者 (略 六名の氏名)。六氏は手水鉢にも名を刻まれてゐる方々。
・手水鉢 材木沢神社新築建設委員 (略 氏名十六名) 昭和本十八年九月建立
・灯籠 平成2年9月8日建立 氏子一同
「材木沢神社復路」の木碑 平成二十四年七月完成 地理院地図にも記載されてゐる車の通れる路が付けられてゐる。

 北海道神社庁誌(1)では住所「当別町字材木沢3252番地4」となってゐる。住居表示が変って社名の基になった地名が無くなってしまったやうだ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

社殿他 遠景
写真2 拡大 (1280×960)

社殿他 遠景

社殿右方には、開基百年之碑、碑と社殿の間に地神碑、社殿から階段で降りた所に、神社沿革掲示板がある。

社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面



左 写真4 拡大 (520×960)
  材木沢澤開基百拾年之碑 碑文は雑記欄参照。

中 写真5 拡大 (441×960)
  地神碑 大國魂主命 天照皇大御神 大已貴命 少彦名命 稲倉安姫命 の五柱

右 写真6 拡大 (332×960)
  社号標「材木澤神社」

社殿前から鳥居方を望む
写真7拡大 (1280×960)

社殿前から鳥居方を望む


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.261

改訂記録
  • 令和06.03.19 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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