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獅子内神社 (北海道〈石狩〉当別町獅子内)

参拝日 令和元年6月28日(土)
作成日 令和2年8月15日(土)
追記日 令和6年3月19日(火)
よみ  ししない じんじゃ  
所在地 〈石狩管内〉当別町獅子内6429 (43度12分28.83秒 141度26分58.01秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 獅子内神社
祭神  天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 桓武天皇(かんむてんのう)
 孝明天皇(こうめいてんのう)
由緒  境内の掲示には次のやうにある。写真7参照。
獅子内神社沿革

当地域は、明治二十六年の入植に始り、東に平安農場ありて郷里、京都の平安神宮の御分霊を祀り、西は京坂農場にして天照皇大神宮の御分霊を奉戴せり、同一地域に二社が鎮座し故に祭事も各社別個に行われた。地域の一本化を望む有志相計り、二社合祀の話し合いが実を結び大正九年九月仮殿を十八線の山の麓に御造営し合祀す、その後大正十五年四月十四日現在地に、竣成し春の大祭を斎行せり
更に、平成四年
獅子内開基百年記念事業の一環として事業費千八百二万五千五百円で氏子の赤誠を以て奉賛し、御造営に着手
同年九月八日、遷座祭を氏子総出で奉仕し九月十三日開拓百年報告祭を斎行せり 例大祭は毎年四月十四日(春祭) 九月九日(秋祭)とす。
雑記  当別町役場から西南西へ6.3km、札沼線(学園都市線)石狩太美駅から北へ1.9kmのところにある。

 地理院地図には、当社の北の丘上に一風変った道路の形が描かれてゐる。そこは、スウェーデンヒルズと呼ばれ、スウェーデンの北欧型建築の家が建並ぶ住宅地といふ。窓は3層ガラスの木枠サッシといふから、暖かそうだ。今回の神社巡りを計画してゐるとき、余裕があればそこを走ってみようかと思ってゐたのに、当日はすっかり忘れてしまった
 今の自分の住ひは、アルミサッシの窓に樹脂サッシの内窓を増設してある。御蔭で2.2kWのエアコン一台で冷暖房が賄へてゐる。でも、今思へば、内窓は複層ガラスにすると、もっと良かった。

 参道入口の右手方に、開拓記念の大きな碑がある。
獅子内 開拓記念碑 北海道知事堂垣内尚弘書
(碑背)
この地に入りて鍬、鋤を持って寸尺の地を切り拓いたのは明治二十六年、平安農場、京阪農場の支配下の人なり。邑里整い明治三十年部落名 獅々内と公称する。 尓来星霜九十年 開拓のため心血を注いだ先人の労苦が今日隆盛の基盤をなす。  茲に先人の功績を称えるため部落民相計り 九十年記念事業としてこの碑を建立する。
(中略:髭右近吉太郎他八十名余 と 協賛者(企業数社)の名が刻まれてゐる)
昭和五十七年 九月建之

 「平安農場」は新篠津神社で登場してゐたのに、当別でも登場したので『おかしいな』と思ひ調べてみたら次の様だった。文中の67万坪は、凡そ220ha。
平安農場は、1894(明治27)年に貸下許可された当別町獅子内地区の第一農場と、1896(明治29)年に貸下許可された新篠津村の第二農場とからなり、両方で67万坪余りの大規模農場である。農場創設に関わったのは、京都府在住の田中利兵衛、酒井重綱、膳平兵衛の三名で、うち膳は1898(明治31)年に農業経営から手を引いた。稲作を行う目的で、第一、第二農場とも湿地で泥炭地という土地が選ばれたが、第一農場は畑作中心となり、第二農場も灌漑溝や排水溝を設置したが成果ははかばかしくなかった。(1)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭 右手に開田記念碑、右手に社号標が建ってゐる。

・社号標は「獅子内神社」「昭和五十九年九月吉日 獅子内厄年会建立 昭和九年より十九年迄の出生者 宮司 後藤正義」とある。
・開田記念碑は写真8参照

二の鳥居
写真2 拡大 (1280×960)

二の鳥居 「寄贈 鳥居2基、参道整備1式 (中略:氏名七名) 平成4年9月」とある。

鳥居近くにある灯籠は、「獅子内四十一會 昭和十七年九月建立」「石工岡本」

社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

社前の灯籠は、「昭和三年九月中旬建之 獅子内氏子中 石工小川

社殿正面
写真4 拡大 (1280×960)

社殿正面

社殿 斜め前から撮影
写真5 拡大 (1280×960)

社殿 斜め前から撮影

馬頭観世音
写真6 拡大 (1280×960)

馬頭観世音 この形は初めてみた。

狛犬・沿革と水準点
写真7 拡大 (1280×960)

狛犬・沿革掲示と水準点

水準点は「二等水準点 No.3104」。高さが記されてゐるのかと思いきや、記載なし。地理院地図には 8.2 とある。

開田記念碑
写真8 拡大 (1280×960)

開田記念碑
開田記念碑 北海道知事 町村金五書
(碑背)(横書)
当別土地改良区西当別地区土地改良事業概要
この事業は篠津地域開発事業の一貫として施工されたもので、主なるものは下記のとおりである

(ざっくり記す)
・計画執行部として理事長始め四名
・開田面積481ha 関係組合員数130名
・区分(国営用水路・道営用水路・団体営用水路・団体営区画整理)毎に事業量・事業費・工期・施工業者が記されてゐる。工期は昭和37乃至39年〜40乃至43年
・記念碑建立発起人12名、発起人以外の役員総代地区委員9名の氏名

建立年月日 昭和43年9月30日
開拓記念碑
写真9 拡大 (1280×960)

開拓記念碑 碑文は雑記欄参照。


出典・脚注
  1. 令和2年8月14日閲覧 北海道 北海道立文書館所蔵資料案内〜私文書 平安農場資料

改訂記録
  • 令和06.03.19 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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