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旭川神社 (北海道〈上川〉旭川市東旭川)

参拝日 平成30年9月3日(月)
作成日 令和元年8月31日(土)
追記日 令和6年4月2日(火)
よみ  あさひかわ じんじゃ  
所在地  〈上川管内〉旭川市東旭川 (北緯43度46分9.47秒 東経142度26分37.43秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 旭川神社
 当社HP
祭 神  (由緒欄参照)
由 緒  元 郷社
 境内に由緒の掲示は二つあり、古いと思はれる方には次のやうにある。なほ、当社HPにはより詳しく、またその後の主要事跡も掲載されてゐる。
旭川神社略記
御祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)主神
(中略)
木花咲耶姫神(このはなさくやひめのかみ)相殿神
(中略)

御由緒
当神社は明治二十六年八月十五日に屯田兵の入地一周年を記念して社殿と鳥居を建て木花咲耶姫神を奉斎してこの移住記念日を例祭日と定め旭川村の村名をもって神社名とし御鎮座せられたのである
しかし出身地の崇敬する神々を祀る希望多く容易に調整がつかなかったので屯田第四中隊長菊池直人氏の仲介により天照大神を奉斎することに一決し、明治三十二年同氏が郷里熊本に帰省する途中伊勢神宮に参拝、北辺警備開拓の事情をのべて御分霊を懇請しようやく許可せられたのである
神璽は同氏に奉載せられて四月二十七日旭川駅前三浦屋旅館に御駐輦になり翌二十八日有志一同は早朝より御旅所に参じ神儀に供奉して村界にさしかかるや一天にわかにかき曇つて時ならぬ豪雨となりこれを避ける暇なく行列を進め御本殿に奉遷を終るとさしもの雨も霽れ一同は深く奇瑞の感に打たれたのであった
ここに神宮直径の神社として霊祥な御神徳は広く崇敬信仰せられるにいたったのである
平成元年六月吉日
 北海道神社庁誌によると、合併により合祀された次の歴史がある(1)
  ・下公有地神社 天照大神 明治三十八年創祀 昭和四十年八月十四日合祀
  ・旭野神社 天照大神 明治三十八年創祀 昭和五十三年合祀

 境内社「戦没英霊 顕勲神社」があり、碑には次のやうに刻まれてゐる。
沿革
 明治三十七年日露の開戦により屯田兵をはじめ五百名が出征し、旅順奉天を攻め北韓を守り功を収めたが、戦没者も四十名を数えた
 翌三十八年初めて慰霊祭が行われ、その後七月三日を招魂祭と定め、帝國在郷軍人東旭川村分会の主催となった。
 大正四年社殿を造営し儀式も神仏両式で行われたが後内務省令により神式祭儀となった。
 満州、支那事変、大東亜戦争へと戦没者も急速に増加したが敗戦後は村民一丸の奉賛会を結成し、顕勲神社と名称を定め410柱の英霊をまつり今日に至っている。
  当社HPによると、東旭川出身者413柱を祀ってゐる、当初の社名は東旭川護国神社と称した、といふ。
雑 記  石北本線東旭川駅(大正11年開業)から南ないし南南東へ0.8kmの所にある。旭川駅は当社から西へ凡そ8kmの所にある。

 当地は、旭川兵村だったところで、明治30年永山村に編入され、明治31年永山村から分村して東旭川村成立、昭和34年町制施行、昭和38年旭川市に編入された。東旭川村成立に際し、村名は東旭川であるにもかかわらず旭川小学校・旭川神社等の名称が認められてゐるといふ。

 加藤建夫少将顕彰之碑が顕勲神社社殿近くにある。碑文は次の様。
明治三十六年京都出身旭川屯田加藤鐵蔵キミの次男、日露戦争従軍、奉天会戦で戦死した父の意思を受け、陸軍兵学校入學、陸軍航空隊に入り、昭和四年庄野田鶴と結婚、十二年支那事変飛行隊長として従軍、大東亜戦争勃発後陸軍一式戦『隼』に搭乗し戦果を挙げ隊への感謝状七度、十七年ビルマ沖の、英国爆撃機攻撃時に被弾自爆、戦功により二階級特進 享年三十八歳
平成二十八年六月吉日 建立
建立者   赤  松    勉
揮毫 撰文 旭川神社 宮司 芦原高穂
  wikpedia 加藤建夫参照。

 当社着は8:50ころ。音江神社から1時間10分もかかってしまった(計画は54分)。カーナビの地図を見ながら走ってゐたが、旭川市中心部を避けて走ってゐたら、道が判らなくなり、コンビニ駐車場で時間を掛けて道を選ぶ羽目になった。このとき初めて、ナビの地図上のここへ行くといふ機能を使った。ナビに右だ左だ等云はれなくても目的地へ行けると自信があったから使はなかったけれど、市街地を走るにはとても便利だと思ひ知った。
 当社滞在時間は、20分と計画してゐたが、見るべき物が多く35分ほどとなり、当社出発の時点で計画から40分の遅れ。今日は計画通りには進めるのは無理と思ひ始めた。一年経った今なら、もっと実際に近い計画を建てるんだが、このときは結構甘かった。
 次は、永山神社を訪れた。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  社号標背面には、「御鎮座七十周年記念 昭和三十七年八月十五日 北海道知事 町村金五謹書」とある。鳥居は「北海道開道百年皇大神宮御分霊奉斎七拾周年記念鋼製大鳥居建立事業」とある


写真2





写真3


写真4  御本殿


写真6  顕勲神社


写真7  顕勲神社 社殿


写真8・9 空之軍神 加藤建夫少将 顕彰之碑
      東旭川出身


写真10  沖縄県石垣島近海から引上げられた零式艦上戦闘機のプロペラ。40年以上海中にあったといふ。


写真5  八幡愛宕神社 例祭の準備中であった。


御朱印


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.503・504

改訂記録
  • 令和06.04.01 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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