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鷹栖神社 (北海道〈上川〉旭川市末広)
参拝日 平成30年9月3日(月)
作成日 令和元年8月31日(土) 追記日 令和6年4月1日(月) |
たかす じんじゃ
| 〈上川管内〉旭川市末広八条三丁目 (北緯43度48分59.96秒 東経142度22分11.58秒)
| 地図:地理院地図 いつもNAVI 参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等
| 北海道神社庁 北海道の神社 鷹栖神社
| 祭 神
| 大國魂神(おおくにたまのかみ)
| 大己貴神(おおなむちのかみ) 少彦名神(すくなひこなのかみ) 元 県社
| 北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)。
雑 記
| 函館本線旭川駅から北へ6km、函館本線近文駅からは北東へ5.2km、宗谷本線・石北本線新旭川駅からは北北西へ4.5kmの所にある。
| 明治25年に鷹栖村が設置された。村域は石狩川右岸一帯(上川郡内の既存の村域外全域)で、人口増加につれ分村されていった。明治30年愛別村を分村、明治35年近文を旭川村に編入、明治39年比布村を分村、大正13年村名を東鷹栖村と改称し鷹栖村・江丹別村・を分村してゐる。昭和26年一部を旭川市に編入。昭和44年旭川市に編入。当地は、昭和44年に旭川市に編入された。地名は東鷹栖町近文原野だったが昭和46年町名変更された。(2) 忠魂碑があり、「明治四十年八月建之」「大迫尚敏書」とある。氏は永山武四郎の後任として第七師団(北鎮師団とも呼ばれた)長に就任、日露戦争では203高地の攻撃に当った。師団司令部は鷹栖村にあった。 「馬魂碑」がある。碑背には「昭和二十年七月八日建之」とあり、昭和四十七年に碑文がはめ込まれてゐる。碑文は次の様、
多くの人が出入りするのは、写真の長い階段の参道ではなく、西側にある参道からで、そこは階段段数も少なく、道幅も広い。 乗用車で行ったので、西側参道を通り過ぎて少し進んだところで、この先には駐車場は無いと判断、引返した。徒歩ならどこからでも入って行けるけれど、駐車場所を探さなければならないのは毎度のことながら、気を遣ふし、時間のロスだ。 境内は静かで、リスが何を探してゐるのか通路にまで出てきてキョロキョロしてゐる。短時間で次々と神社を巡ってなかなか落着かないが、長閑な数分だった。 次に向ったのは、護国神社。11:15出発で計画から1時間20分遅れ。遅れ拡大した。 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) | ||||||
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出典・脚注
改訂記録
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