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上川神社 (北海道〈上川〉旭川市神楽岡公園)

参拝日 平成30年9月3日(月)
作成日 令和元年9月14日(土)
追記日 令和6年4月1日(月)
よみ  かみかわ じんじゃ  
所在地 〈上川管内〉旭川市神楽岡公園 (北緯43度45分8.24秒 東経142度21分52.97秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 上川神社
 Wikipedia:上川神社
 当社HP
祭 神  (由緒欄参照)
由 緒  別表神社、元 県社
 境内の掲示には次のやうにある。
御由緒略記

神社本庁別表指定神社 上川神社 旭川市神楽岡公園二番地鎮座
一、御祭神  天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ) 大己貴大神(おおなむちのおおかみ) 少彦名大神(すくなひこのおおかみ)
  配祀
左座 豊受姫神(とようけひめのかみ) 大物主神(おおものぬしのかみ) 天乃香久山神(あめのかぐやまのかみ)
右座 鍋島直正命(なべしまなおまさのみこと) 黒田清隆命(くろだきよたかのみこと) 永山武四郎命(ながやまたけしろうのみこと) 岩村通俊命(いわむらみちとしのみこと)
一、由緒 旭川村が明治二十三年九月戸数百五十三戸、人口六百九十六人で開村され、三年後の二十六年戸数八百十二戸、人口四千二人となったので、七月十五日上川地方開拓守護の神、旭川の鎮守として市街予定地「に」通(現在の宮下通)四丁目から七丁目までの義経台と呼ばれたチャシコッに天照大神をお祀りしたのが創祀である。
明治三十一年旭川まで鉄道がつく事になり、七月に六、七条通八丁目にお遷りになり、三十六年一月二十六日北海道廳長官から神社創立を許可され、三十六年六月に宮下通二十丁目先に遷座され、其後村社、郷社に昇格し、大正十二年十二月八日内務大臣から縣社に列せられた。
大正九年七月から元皇室の御料地である神楽岡に、工費三十万円をもって帝室林野局払下の蝦夷松材で神明造りの社殿を造営し、大正十三年六月六日に遷座になり、頓宮は常磐公園千鳥ケ島に鎮座する。
昭和二十一年國の神社制度が廃止され、宗教法人となり三十年七月一日神社本廳の別表神社に指定された。平成四年御創祀百年を迎え七月十四日上川地方と旭川の開発のために非常な御功績のあった初代北海道廳長官の岩村通俊命を合祀し、七月十五日御創祀百年祭を齋行、記念事業として御社殿の大改修を行う。平成五年七月竣工し、一部附帯工事は九月三十日竣工した。
一、祭典 例祭  七月二十一日(二十一、二十二日には御神幸式がある)
祈年祭 四月十七日
新嘗祭 十一月二十三日
月次祭 毎月一日、二十一日
講社大祭 新年大祭一月十五日、春期大祭五月十五日、秋期大祭九月十五日
火鑽神事(ひきりしんじ) 一月七日
一、社紋 明治三十六年一月上川神社の創立許可を受けたので、初代社掌柴田善直は旭川の地名にちなんで、國学の四大人の一人本居宣長翁の「敷島の大和心を人問はば、朝日ににほふ山桜花」の朝日を旭川の旭にかけて山桜花を社紋と定めた。

御祭神記
主神 (中略) (大己貴大神 少彦名大神)の二柱の神は明治三十七年七月一日合祀奉斎する。
配祀 左座 豊受姫神 大物主神 天乃香久山神 建御名方神 誉田分命 敦實親王
右座 鍋島直正命 黒田清隆命 永山武四郎命 岩村通俊命
配祀の神々は元無格社近文神社の御祭神で大正二年十一月十四日上川神社に合祀し、岩村通俊命は平成四年七月十四日合祀奉斎する。
(中略)
鍋島直正命は初代開拓使長官、黒田清隆命は初代開拓次官で第三代の開拓長官となり、永山武四郎命は屯田兵本部長、第二代北海道廳長官、屯田兵司令官となり共に本道開拓に功労特に顕著であり、岩村通俊命は明治十五年更に十八年には上川を視察し、太政大臣に北京を上川に置くの議を上申し、本道の開拓はもとより上川地方と旭川の開発に特別な功労があった方で初代北海道廳長官である。

 境内社旭川天満宮の由緒  社殿脇に設置の碑には次のやうにある。
福多仲蔵翁顕彰碑
 旭川市旭町二条五丁目福多仲蔵翁は明治二十年六月九日徳島市多家良町飯谷村福多嘉太郎マサの五男に生れ幼少の頃健康勝れず多く病床にあり母の教へを受けひたすら天満宮を信仰し健康を回復す爾来天満宮を信仰すること篤く大正元年上川郡美瑛町真布に農業移民として入植三十年間開拓に従事す昭和十六年市内旭町七丁目に転住し下駄工場及び製材所を営み更にこれを拡充して福多木材工業株式会社を創設す以来健康と社運に恵まれ同四十年上川神社責任役員氏子総代に推挙せらるたまたま高齢八十歳を記念し現下の世相に鑑がみ神恩感謝の至誠をもって青少年の健全育成のため上川神社境内に天満宮鎮祭を発願し社殿賽銭箱花崗岩鳥居玉垣燈籠梅樹イチイ神居古潭石を始め鎮座祭に要する一切の費用五百万円を寄進せらる同四十一年七月十七日福岡県太宰府天満宮より御祭神の後裔たる西高辻信貞宮司御分霊を奉じて参着し上川神社境内社旭川天満宮として鎮祭す上川神社は翁ノ敬神の篤行を表彰して特別功労者に推挙し神社本庁北白川房子総裁には特に感謝状を授与せらるここに鎮座の由来を記し翁の篤行を顕彰す
  昭和四十三年十一月
    上川神社宮司 柴田直孝
           齋藤雪洞謹書
雑 記  旭川駅から南東へ1.3kmの所にある。

 祭神の内、鍋島直正命、松浦武四郎命、黒田清隆命、岩村通俊命は開拓神社(北海道神宮境内社)の祭神でもある。

 「史跡 上川離宮予定地」標柱、上川離宮宣達書碑、「神楽岡」碑がある。
 神楽岡碑は昭和六年の年記があり碑文の文字は画数の多い文字も明瞭で容易に読取れるが、親切にも、別途、カタカナを平仮名にして文の区切りを四分の一ないし半角開け、漢字に振仮名を付けて読みやすくした掲示(画像 501kB)がある。

 合祀された近文神社は、明治39年8月創祀(1)

 参拝と見学を終へ、当社を計画から2時間20分遅れで出発した。神楽岡」碑碑文を読んでゐたらもっと時間がかかる所だったが、写真を撮るだけにした。今になって振仮名つきの方を読んでゐる。
 次の訪問予定は、深川市の納内神社。道程23kmを平均時速45km/h、32分で走るといふ計画で、これも実行無理に違ひない。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4


写真5  境内社 旭川天満宮、覆屋はガラス張り


写真6  境内社 旭川天満宮、眷属は鳥(鶯?(うそ))、石製一対・木製一対ある


御朱印


御朱印


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.505

改訂記録
  • 令和06.04.01 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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