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厚岸真龍神社 (北海道〈釧路〉厚岸町宮園町)
参拝日 令和3年6月1日(火)
作成日 令和4年1月22日(土) 改訂日2 令和6年2月20日(火) |
あっけし しんりゅう じんじゃ
| 〈釧路管内〉厚岸郡厚岸町宮園二丁目 (43度3分26.25秒 144度50分14.14秒)
| 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) 参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
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HP等
| ・北海道神社庁 北海道の神社 厚岸真龍神社
| 祭神
| 誉田別尊(ほんだわけのみこと)
| 表筒男神(うわつつおのかみ) 中筒男神(なかつつおのかみ) 底筒男神(そこつつおのかみ) 北海道神社庁webには次の様に載ってゐる(1)。
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雑記
| 最寄駅は根室本線厚岸駅で東南東へ0.3kmのところにある。丘にある当社から下の方を通ってゐる線路が見える。開業は大正八年(1917)。
| 本日は、神社巡り三日目。 昨日は、芽室駅前から135km走って釧路市内のホテルに20時着。この季節、いくら日没が遅いとは云へ、釧路辺りでは真っ暗。初めての路で緊張した。 今朝は、6時25分発で48km走って当社には7時21分着。当社は御朱印授与されてゐるが、この時間では無理。車の騒音も大きくならないやうに気をつけて駐車し、参拝した。 十勝とは大いに違って平地に恵まれない地で植物も育ちが悪いやうだ。確か、夏は海からの霧が多い地のはず。 真龍村については、確認出来なかった。 由緒欄にある松浦武四郎は開拓神社の祭神となってゐる。北海道の名付親、箱館府判事、開拓判官を歴任した。 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) | |
写真1 拡大 (1280×960) 階段を登ってゆくと、左45°に現れる。 社号標は「鎮守 真龍神社」、背面に「昭和五十四年六月吉日 奉寄進 氏子一同」とある。 | |
写真2 拡大 (1280×960) | |
写真3 拡大 (1280×960) ありがたいことに、拝殿の扉が開けられてゐる。 | |
写真4 拡大 (1280×960) 社殿側面 | |
写真5 拡大 (1280×960) 拝殿内 | |
写真6 拡大 (1280×960) 手水舎(コロナのため使用中止中) 向って左手に碑「創祀百年紀念碑」がある。碑文には、平成十九年七月吉日の年記がある。 | |
写真7 拡大 (1280×960) 創祀八十年記念碑 碑文は次の様。
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写真8 拡大 (1280×960) 向って右に「心のかけ橋」碑。碑背に碑文がある。次の様。
左側は「紀功碑」。昭和十五年に建てられたもので、碑文は汚れて読み難く全容は把握できなかったが、捕鯨の振興に功績のあった方の顕彰碑。厚岸海事記念館web(2)によると、厚岸は昭和7年から45年にかけて捕鯨を行ってゐたと云ふ。 題額は(株)林兼商店・大洋捕鯨(株)社長の中部幾次郎。国産捕鯨母船日新丸で南氷洋初捕鯨へ向った船団長、志野徳助氏が寄港先のオーストラリアで脳溢血のため死去したのを悼み建てたもの。志野徳助氏の出身地は野蒜村(現在、東松島市の一部、JR仙石線野蒜駅がある)[04.02.05追記] | |
写真9 拡大 (1280×960) 社殿前から鳥居方を望む 手前の鳥居は二の鳥居。狛犬は金属(青銅)製か、台部分には多くの人の氏名が記されてゐる。 | |
出典・脚注 改訂記録
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