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厚岸真龍神社 (北海道〈釧路〉厚岸町宮園町)

参拝日 令和3年6月1日(火)
作成日 令和4年1月22日(土)
改訂日2 令和6年2月20日(火)
よみ  あっけし しんりゅう じんじゃ  
所在地 〈釧路管内〉厚岸郡厚岸町宮園二丁目 (43度3分26.25秒 144度50分14.14秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 厚岸真龍神社
祭神  誉田別尊(ほんだわけのみこと)
 表筒男神(うわつつおのかみ)
 中筒男神(なかつつおのかみ)
 底筒男神(そこつつおのかみ)
由緒  北海道神社庁webには次の様に載ってゐる(1)
由来 安政4年(1858)4月、松浦武四郎が奉持する八幡大神を、当地真龍に1祠を建て奉安し、且つ祭神無き集落を憂い氏の深慮より奉斎したのがその始まりと伝わる。その後、高畠清次朗・浜本彦松の両名が祠跡を修復、社殿を建立し、明治41年京都石清水八幡宮、伏見稲荷大社より御神体を勧請し、当時真龍村の氏神、真龍八幡神社として祀った。文献上、当神社創祠の年とする。大正14年造営並遷座。昭和16年現在地に移転、遷座。昭和19年旧参道50mのコンクリ-ト階段120段、当港駐留の海軍部隊の協力により完成奉納。昭和28年宗教法人、厚岸真龍神社(通称真龍神社)となる。昭和37年字名変更により真龍の地名が無くなる。昭和45年現在の社殿造営、遷座祭を執り行う。同時に社務所を新築する。
雑記  最寄駅は根室本線厚岸駅で東南東へ0.3kmのところにある。丘にある当社から下の方を通ってゐる線路が見える。開業は大正八年(1917)。


 本日は、神社巡り三日目。
 昨日は、芽室駅前から135km走って釧路市内のホテルに20時着。この季節、いくら日没が遅いとは云へ、釧路辺りでは真っ暗。初めての路で緊張した。
 今朝は、6時25分発で48km走って当社には7時21分着。当社は御朱印授与されてゐるが、この時間では無理。車の騒音も大きくならないやうに気をつけて駐車し、参拝した。
 十勝とは大いに違って平地に恵まれない地で植物も育ちが悪いやうだ。確か、夏は海からの霧が多い地のはず。

 真龍村については、確認出来なかった。
 由緒欄にある松浦武四郎は開拓神社の祭神となってゐる。北海道の名付親、箱館府判事、開拓判官を歴任した。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

階段を登ってゆくと、左45°に現れる。

社号標は「鎮守 真龍神社」、背面に「昭和五十四年六月吉日 奉寄進 氏子一同」とある。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

ありがたいことに、拝殿の扉が開けられてゐる。

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

手水舎(コロナのため使用中止中)

向って左手に碑「創祀百年紀念碑」がある。碑文には、平成十九年七月吉日の年記がある。

写真7
写真7 拡大 (1280×960)

創祀八十年記念碑
碑文は次の様。
明治四十一年真龍神社が此の山頂に創建されてより八十年を閲したり
 之を機に神恩奉謝の赤誠を捧げんと記念事業を起し創祀八十年祭の執行及び神域の充足を立案 昭和五十七年より五箇年計画のもとに総額壱千四百余万円を以て右事業を達成せり
 これ偏に神明の加護によるとは雖も又募財に應ぜられし人々の名を狛犬台座其の他に録し永く後昆に伝えんとす
 昭和六十二年七月吉日
 真龍神社宮司 西條篤二カ
          撰 書


写真8
写真8 拡大 (1280×960)

向って右に「心のかけ橋」碑。碑背に碑文がある。次の様。
吾々町民多年の願望であった心のかけ橋たるべき厚岸大橋は、北海道初の海上橋として昭和四十四年着工、本年完成をみた。ここに至るそれぞれの立場での多くの努力に対し感謝と敬意を捧げるものである。

特に衆議院議員中川一郎氏の献身的努力は永遠に忘れることができない。ここに感謝の意を表し永く功績を称えるため有志相寄りこの記念碑を建立する。
 昭和四十七年九月に十四日
  厚岸大橋竣功紀念碑建立発起人
   代表 厚岸町長  村上忠次
    北海道議会議員 岩狭 靖
    中川一郎後援会々長
         涌井徳右ヱ門

 参考 厚岸大橋の写真を牡蠣島弁天神社の頁に載せた。

 左側は「紀功碑」。昭和十五年に建てられたもので、碑文は汚れて読み難く全容は把握できなかったが、捕鯨の振興に功績のあった方の顕彰碑。厚岸海事記念館web(2)によると、厚岸は昭和7年から45年にかけて捕鯨を行ってゐたと云ふ。
 題額は(株)林兼商店・大洋捕鯨(株)社長の中部幾次郎。国産捕鯨母船日新丸で南氷洋初捕鯨へ向った船団長、志野徳助氏が寄港先のオーストラリアで脳溢血のため死去したのを悼み建てたもの。志野徳助氏の出身地は野蒜村(現在、東松島市の一部、JR仙石線野蒜駅がある)[04.02.05追記]

写真9
写真9 拡大 (1280×960)

社殿前から鳥居方を望む

手前の鳥居は二の鳥居。狛犬は金属(青銅)製か、台部分には多くの人の氏名が記されてゐる。


出典・脚注
  1. 令和4年1月13日閲覧 北海道神社庁 北海道の神社 厚岸真龍神社
  2. 令和4年1月14日閲覧 厚岸海事記念館捕鯨

改訂記録
  • 令和06.02.20 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。
  • 令和04.02.05 写真8の「紀功碑」に補足120字余。鍵となる人物名が特定できた。

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