ホーム北海道釧路管内 > 厚岸町

牡蠣島弁天神社 (北海道〈釧路〉厚岸町 厚岸湖弁天島)

参拝日 令和3年6月2日(火)
作成日 令和4年1月22日(土)
改訂日 令和6年2月20日(火)
よみ  かきじまべんてん じんじゃ  
所在地 〈釧路管内〉厚岸町 厚岸湖弁天島 (43度2分28.53秒 144度51分42.57秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
HP等  ─
祭神  ─
由緒  単立 (神社庁包括下にない)
 朝日新聞デジタル(2017年)によると次の様(1)
 かつてはここに幅約10m、奥行き約70mの三日月形の島があった。そこに神社が建てられた経緯ははっきりしないが、1791(寛政3)年の「東蝦夷(えぞ)道中記」に神社があることが記され、1820(文政3)年にはお祭りが開かれた記録もある。
 社殿は1851(嘉永4)年に火災で焼失したが、翌年に再建され、商人の山田文右衛門が座像を寄贈したと伝えられる。社殿にまつられている弁財天座像は、町の有形文化財だ。町海事記念館の熊崎農夫博(のぶひろ)学芸員(57)は「神社は航海の安全とともに、海の繁栄も祈られた場所だった」という。
 大正時代には神社の隣に保養館や料亭も建てられてにぎわったが、戦後は地盤沈下が進み、往時の面影が失われた。
 島はほとんど水没し、対岸の奔渡(ぽんと)地区の約250世帯を中心にした「牡蠣島弁天神社保存会」が神社を守ってきた。会員が費用を出し合い、1964年に基礎部分約200平方mを固めるなど、少なくとも16回の工事を重ねてきた。今は保存会役員だけが年に数回参拝しているが、一般の人からも参拝したいという要望が時々寄せられる。中村一明会長(63)は「地区の人口減少や高齢化もあり、『維持管理費をまかなうために、神社を陸に移して参拝してもらっては』という意見もある。だが神社の伝統もあり、会員の理解が得られるか」と思案中だ。
雑記 厚岸神社で御朱印を戴いた際、牡蠣島弁財天社の御朱印もあるとのことで戴いた。当社は海上にあり参拝には行けないと云ひ、良く見える場所を教へてくれた。橋の湖北側にある大型小売店(スーパー)からが見よいと云ふことだった。
 地図を見たところ、厚岸漁業協同組合本所(厚岸町奔渡(ぽんと))が、より近くて駐車も可能と判断した。勝手に駐車するのは、ちょっと気が引けた。

 googlマップには、当社の、より鮮明な写真がある。本所から当社へは東(178°)へ490mの距離がある。カメラの違ひは大きい。

 厚岸町海事記念館webには、厚岸湖牡蠣島弁天神社弁財天座像が載ってゐる。説明文は、「厚岸湖牡蠣島弁天神社に納められている弁財天座像は、嘉永5年(1852)に厚岸場所請負人山田文右衛門が奉納したと言われている、木彫りに極彩色を施した高さ約24pの像で、昭和53年(1978)に厚岸町の有形文化財に指定された。」(2) 御朱印の坐像画は、この弁財天座像だ。

 このほか、お酒他を奉納したときの動画がyoutubeにあった。社殿内部も写ってゐる。(3)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960) 社殿拡大 (1280×960、明度等調整)

厚岸漁港本所前から撮影

35mm換算95mm、露出時間1/800、光学ズーム最大の5倍なので使用カメラの限界。撮像素子も小さいので仕方ない。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

厚岸大橋

厚岸真龍神社には「心のかけ橋」と題した町民多年の願望を叶へるに至った多くの人の努力に対する感謝を表した碑がある。

御朱印
御朱印 拡大 (706×960)


出典・脚注
  1. 令和4年1月14日閲覧 朝日新聞デジタル わがまち遺産 牡蠣島弁天神社(厚岸町) 2017-01-08
  2. 令和4年1月14日閲覧 厚岸町海事記念館web厚岸湖牡蠣島弁天神社弁財天座像
  3. 令和4年1月14日閲覧 湖に浮かぶ神社「厚岸牡蠣島弁天神社」奉納 牡蠣活動家チャンネル 2020-12-28

改訂記録
  • 令和06.02.20 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)


inserted by FC2 system