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釧路神社 (北海道〈釧路〉釧路町字遠野)

参拝日 令和3年6月2日(水)
作成日 令和4年2月12日(土)
改訂日 令和6年2月18日(日)
よみ  くしろ じんじゃ  
所在地 〈釧路管内〉釧路町字遠野(とおや)52-5
  (43度3分3.75秒 144度27分46.64秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 釧路神社
祭神  天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
由緒  元 村社
 北海道神社庁webには次の様に載ってゐる。
由来  大正6年7月11日の創立。達古武紅葉丘に奉斎されていたが、昭和4年6月27日に遠野鶴聲山に遷座された。昭和10年11月28日村社となる
   達古武:たっこぶ
雑記  最寄駅は釧網本線遠矢駅が南南西(216°)へ0.5kmの所にある。

 当町について、釧路町webでは次の様に述べてゐる(1)
 本町は、明治時代より昆布森村、跡永賀村、仙鳳趾村、及び現在の釧路市の前身である釧路村の一部により形成されていました。大正9年釧路町(現釧路市)から分村した釧路村と昆布森村が昭和30年に合併し、新しい釧路村が誕生しました。また、昭和51年には人口が1万人を超え、昭和55年4月1日に町制を施行し、釧路町となりました。

 釧路という名称は、アイヌ語の「クシュル(通路)」、「クツチヤロ(咽喉)」、「クスリ(意味不明)」のいずれかが転化したものといわれていますが、定説はありません。

 現在は、別保、遠矢、セチリ太、東陽・中央、昆布森の5つの地域で構成されています。
   跡永賀:あとえか、 仙鳳趾:せんぽうし

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

社号標は「釧路神社」、背面に「奉献 皇紀二千六百年記念 村田清太郎」「憔山兼司経書 石工北村嘉一刻」とある。皇紀二千六百年は昭和十五年。 

鳥居は「皇紀二千六百年年記念」「再建 昭和六十一年七月十二日」、他方の柱に「奉納 中島六蔵六十八歳 フユ六十三歳」「奉納 中島義雄」とある。

社頭の掲示板には、毎月一日の月並祭とお神札頒布の案内が掲示されてゐた。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

参道をまっすぐ登ってゆくと開けたところに出てふり返ると社殿があった。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

狛犬の台石には次の様に刻まれてゐる。狛犬自体は札幌軟石で改修なしと見える。狛犬拡大写真(960×1280)
  釧路郡釧路村字
     達古武字二十七番地
  寄附者
   農牧畜業 伊東□助
  昭和十一年三月吉日建之

  昭和六十二年九月吉日改修

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

斜めから見た社殿

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真6
写真6 拡大 (1280×960)
社殿前から参道方向を望む
徒歩の場合、まっすぐ行って右へ折返して下ってゆく。
車の場合、まっすぐ行って左手へ進む

写真7
写真7 拡大 (1280×960)

山神の碑

御朱印
御朱印 拡大 (670×960)

釧路市の厳島神社でいただいた。


出典・脚注
  1. 令和4年2月10日閲覧 北海道神社庁 北海道の神社 釧路神社
  2. 令和4年2月10日閲覧 釧路町webの釧路町の現況

改訂記録
  • 令和06.02.18 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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