ホーム > 北海道 > 釧路管内 > 白糠町 |
嚴島神社 (北海道〈釧路〉白糠町岬)
参拝日 令和3年6月2日(水)
作成日 令和4年2月19日(土) 追記日 令和6年2月18日(日) |
いつくしま じんじゃ
| 〈釧路管内〉白糠郡白糠町岬1丁目1-1
| (42度57分18.36秒 144度5分6.37秒) 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) 参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
|
HP等
| 北海道神社庁 北海道の神社 嚴島神社
| 祭神
| 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
| 村社
| 北海道神社庁webには次の様に載ってゐる(1)。
雑記
| 最寄駅は根室本線白糠駅で西へ0.7kmの所にある。特急の停車駅。
| 境内に「原半左衛門縁の地」碑がある。背面に次の碑文がある
当社から東南東へ0.5kmの石炭岬では、箱館入港の外国船に提供するための石炭採掘を、安政4年(1857)から元治元年(1864)までの7年間行われた。安政4年6月から翌年4月までの採炭量は8600トンと云ふ。その後、明治30年(1897)に再開され白糠町内各所で炭鉱が開発され、エネルギー源が石油に取って代る頃までに閉山してゐる。 白糠の歴史(2) ・寛永9年(1632):白糠場所が開設された。 ・寛政12年(1800):八王子千人同心の原半左衛門以下50人が入地した。 なお、同年勇払(現 苫小牧市内)にも入地してゐる。 ・明治17年(1884):戸長役場設置(白糠町の開基) ・明治34年(1901):(白糠-釧路間の鉄道開通) その後、明治38年に帯広まで延伸、明治40年に釧路線(現 根室本線)が全通し、札幌・函館まで線路で繋がった。 ・昭和13年(1938):明治庶路炭鉱が操業開始 ・昭和20年(1945):米軍の空襲(5名死亡) ・昭和22年(1947):新白糠炭鉱操業開始 ・昭和39年(1964):明治庶路炭鉱・新白糠炭鉱が閉山 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) |
写真1 拡大 (1280×960) |
写真2 拡大 (1280×960) 手水舎 |
写真3 拡大 (1280×960) 二ノ鳥居 根室本線の線路が通ってゐる。踏切は「田畑踏切 284K266M」とある。滝川-白糠 間の営業距離は281.1kmなので、営業距離とは違ふのだらうか。 参道の左側には社号標が建ってゐる。 ・表は「巖島神社」、 ・側面に「白糠郡白糠村字泊八番地鎮座」、 ・背面に「昭和十一年 行幸記念」 とある。 |
写真4 拡大 (1280×960) |
写真5 拡大 (1280×960) 社殿 (正面からの撮影は、し忘れた) |
写真6 拡大 (1280×960) 拝殿内 |
写真7 拡大 (1280×960) 忠魂碑と境内社 忠魂碑は陸軍大将一戸兵衛書、昭和三年八月建立。 中央は「皇太子殿下 行啓記念碑」 境内社は、狐が置いてあるので稲荷社と思はれる。 |
写真8 拡大 (1280×960) 階段上から下方を望む |
写真9 拡大 (1280×960) 港方向を望む |
写真10 拡大 (1280×960) 特急おおぞら 撮影は14:18、定刻は13:02通過なので1時間あまりの遅れ。 |
御朱印 拡大 (1280×960) |
出典・脚注 改訂記録
文頭へ移動 ホーム(神社訪問記) |