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歯舞神社 (北海道〈根室〉根室市歯舞)

参拝日 令和3年6月1日(火)
作成日 令和4年1月29日(土)
改訂日 令和6年2月19日(月)
よみ  はぼまい じんじゃ  
所在地 〈根室管内〉根室市歯舞(はぼまい)三丁目89番地
 (43度20分44.55秒 145度45分35.42秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 歯舞神社
祭神  天照皇太神(あまてらすすめおおかみ)
 豊受大神(とようけのおおかみ)
 八幡大神(はちまんおおかみ)
由緒  元 村社
 北海道神社庁webには次の様に載ってゐる(1)
由来
明治39年神社を設立し歯舞神社と呼称する。明治44年に神社設立願提出「無格社」として認可される。昭和6年境内地を取得し昭和11年社殿を造営する。昭和13年社格を「村社」に列せられ昭和13年幣帛供進神社に指定される。昭和28年宗教法人歯舞神社として認証される。昭和42年社殿を造営、平成元年には創祀80周年記念祭を執行した。平成17年社殿を造営。平成20年創祀100周年記念祭を執行した。
雑記  最寄駅は根室本線根室駅で西(262°)へ14.5kmの所にある。東根室駅は少し近いが便が悪い。

 かつて、根室拓殖鉄道(2)の歯舞駅が当社社殿から西南西へ0.7km程の所にあった。線路は原野を通ってゐるためか、昭和27年に米軍によって撮影された航空写真に依っても、良く判るが終点(歯舞駅)附近は判然としない。

 当地は、当社創祀のころは歯舞村の地であった。歯舞村についてウィキペディアには次の様に記してゐる(3)
 歯舞村(はぼまいむら)は、北海道東部の根室半島先端部と歯舞群島を村域とし、花咲郡を構成していた村。
 1897年(明治30年)に発足。1915年(大正4年)に婦羅理村、沖根辺村、沖根婦村、友知村、珸瑤瑁村の5村を合併して、二級町村となった。
 この際、珸瑤瑁村に属していた珸瑤瑁諸島も歯舞村の一部となり、以後「歯舞群島」と呼ばれるようになった。
 (中略)
 1959年(昭和34年)に根室市と合併し、消滅した。
 参考(よみ)  婦羅理:ふらり 沖根辺:おきねべ 沖根婦:おきねっぷ 友知:ともしり 珸瑤瑁:ごようまい

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)  社号標拡大 (720×960)

社号標は背面に「歯舞第五町内会 昭和四十二年十月建之」と記されてゐる。木製。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

二の鳥居

参道左側の建物は参集殿。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

狛犬は「平成十七年九月吉日 歯舞神社氏子一同」と刻まれてゐる。

写真4
写真4 拡大 (1280×960)



写真5
写真5 拡大 (1280×960)



写真6
写真6 拡大 (1280×960)

忠魂碑

「明治四十三年八月建立 昭和九年九月改築 歯舞村在郷軍人分會 根室町□□□」とある。
日露戦役戦没者の慰霊が始りだらうか。

写真7
写真7 拡大 (1280×960)

社前から鳥居方を望む

海が見えてゐる。
写真の左側奥に忠魂碑が写ってゐる。


出典・脚注
  1. 令和4年1月23日閲覧 北海道神社庁 北海道の神社 歯舞神社
  2. 根室拓殖鉄道 : 根室駅から歯舞駅の15.1kmを結ぶ鉄道で、昭和4年開業し昭和34年廃止された。昆布等の海産物の運搬目的で敷設され旅客輸送も行った。歯舞駅は国内最東端の駅だったが、烏戸石(とりといし)(珸瑶瑁漁港がある)までの延伸計画もあった。廃止は、道路事情が良くなりバスが走れるやうになった事と歯舞村が根室市に合併されたのを機になされた。(ウィキペディア根室拓殖鉄道(R4.01.29閲覧、及び『日本鉄道旅行地図帳 1号 北海道』2008年刊 新潮社 より)
  3. 令和4年1月23日閲覧 ウィキペディア 歯舞村

改訂記録
  • 令和06.02.19 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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