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出雲大社網走教会 (北海道〈オホーツク〉網走市港町)

参拝日 令和4年6月8日(金)
作成日 令和5年4月9日(日)
追記日 令和6年2月3日(土)
よみ  いづもたいしゃ あばしり きょうかい
概要  北海道網走市港町に鎮座。神社庁の包括下に無く、出雲大社教の教会。  
所在地  〈オホーツク管内〉網走市港町 118-1
  北緯 44度0分59.91秒
  東経144度16分55.78秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 マピオン(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 145km×南北 144km の範囲の地図です
・東西145km 南北144km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
 
HP等  ─
祭神  大国主大神(おおくにぬしのおおかみ
由緒  由緒は調べがつかなかった。
 出雲大社教は、神社本庁の包括下に無い。明治の国家神道化に際し出雲大社の神官が出雲信仰の布教が出来なくなったため、明治15年に布教のため設立された。戦後は、出雲大社に復帰合併した。教団名は「いづもおおやしろきょう」と改称した。(1)

(令和6年2月1日追記)
沿革等(2)
・昭和43年 創建
・昭和45年 社殿新築
・昭和55年 拝殿新築
・平成2年  神楽殿新築
・平成12年 社務所新築
・例祭 神輿渡御や獅子舞奉納がある。7月20日。
  (追記ここまで)
雑記  最寄駅は釧網本線桂台駅(昭和42年開業)で、当社から西へ0.7kmの所にある。網走駅は西(280度)へ2.3km、網走市役所は西北西(303度)へ0.8kmのところにある。

 御朱印を頂いたとき、鳥居は建てないんですか、と伺ったら、狭くて建てられない、灯籠のある所でさえ社地ではなく借りてゐる、とのこと。目の前の国道244号線は片側二車線で歩道も広いので、拡幅に際して何かあったのかなと想像したが判らない。

 岬について  昭和23年に撮影された航空写真を見ると港町の多くは埋立て地と判る。当然、道路は海岸線を通ってゐた。googleの地図では台町にあるしおさい公園の南東端に「知人(しれと)岬跡」の記載がある。掲載の写真をみると碑文に
岬の名はアイヌ語の陸地の突出たところシレトに由来する。松浦武四郎の西蝦夷日記にも記され、後に知人の和名があてられた。明治三十五年(1902)ポンモイへの道路開削のため突端部が爆破され、後に大量の採石によって幻の岬となった。
とある。前出の昭和23年の航空写真には国道の大きくカーブしてゐる東側には岩礁とみられるものが写ってゐる。今は岩礁部分や250mほど沖にあった小島から南の方まで陸地になって岬だったとは気づけない。
 大正13年(1924)に一部開業した釧網本線(当時は網走本線)が網走隧道で岬を避けたのも岬の交通への支障の大きさが窺へる。
 出雲大社網走教会が網走の中心からみると不便な岬の向かうにあるのはなぜなのか、気になるところ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)

写真2 写真2 拡大 (1280×960)


写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 稲荷社(稲荷社)
 駐車場の右端、隣の建物との境にある。

御朱印
御朱印 拡大 (644×960)
 


出典・脚注
  1. 令和5年4月4日閲覧 wikipedia 出雲大社教
  2. 令和5年2月1日閲覧 webサイト来たHUB【2024】出雲大社網走分社 網走市港町のお祭り(例祭)を紹介! 網走の夏を彩る、出雲大社の神幸行列 7月 2023-12-29付け

改訂記録
  • 令和06.02.03 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。由緒追記、地図追加(市町村域表示)。

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