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美幌神社 (北海道〈オホーツク〉美幌町)

参拝日 令和4年6月8日(金)
作成日 令和5年4月9日(日)
追記日 令和6年1月31日(水)
よみ  びほろ じんじゃ
概要  北海道オホーツク管内美幌町に鎮座する。明治三十六年に鳥取県からの移住者が戸隠神社の神霊を奉斎し、翌年に仮殿を建立し美幌神社と称した。大正八年九月公認され、十二月には村社に列格した。平成元年社殿を造営した。  
所在地  〈オホーツク管内〉美幌町西一条南四丁目
  北緯 43度49分9.54秒 144度5分56.31秒
  東経144度5分56.31秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 マピオン(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 145km×南北 144km の範囲の地図です
・東西145km 南北144km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
 
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 美幌神社
・当社 HP
・   twitter
祭神  天照大神(あまてらすおおかみ)
 天手力男命(あめのたぢからおのみこと)
 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)(1)
由緒  元 村社
 境内に設置の碑には次の様に刻まれてゐる。
   美幌神社

  由緒

鳥取県より移住者が明治三十七年長野県戸隠山神社の神霊天手力男命を奉斎し美幌神社と称して大正九年天照皇大神を合祀の上創立の許可を受ける 大正九年村社 昭和二十一年宗教法人設立

  記

一、祭神   天照皇大神 天手力男命
一、社殿   神明造
一、境内地  二町九反四畝四拾貳歩
一、例大祭日 九月五日

 北海道神社庁誌(平成11年)には次の様に載ってゐる(2)。(読み易さのために適宜改行した)
由緒 大正九年九月十六日創立。
 当美幌町は往昔山網走と称し函館藤野家北見開発の命を承け文政年間網走の漁業を営み漁具の材料を求めんとして網走川を丸木船に棹し潮航したのが和人の足跡を即したる嚆矢と言う。爾来中絶し明治五年再び、漁業を網走に開いた藤野喜兵衛が漁業の材料を求めようと年々五、六月交船に寄って来往した。アイヌの人々は僅かに蔬菜を培うのみだったが、超えて明治十六年土人救済事務所を開始し西田喜之助が赴任し、農業を奨励統轄し同二十年五月救済事務所を廃し戸長役場を置いた。
 当時戸数は十六戸で一去一来常住する者無く、同三十六年初めて鳥取県より十三戸団体が移住し、戸隠神社を信仰し同三十七年假殿を建立し祭神天手力男命を祀り美幌神社と称した。
 爾来村内唯一の崇敬社であったが、遂年当地方太平野の開発に伴い移住者が激増し戸数二千余人口一万余人に達し、漸く自治村としての基礎も定まったので一同協議の上社殿を造築し二柱の御祭神を以て村の守護神と定め、大正八年六月九日創立出願し翌九年九月十六日許可された。同年十二月十一日村社に列し今日に至る。昭和二十一年宗教法人設立・昭和三十二年社殿を御造営・平成元年九月一日社殿御造営・平成三年五月十五日に社務所改築。
境内外摂末社 美幌相馬神社 天之御中主神・龍神社 津和田都美神

【境内社】龍神社の由緒碑には次の様に刻まれてゐる。
由来
昭和十五年十月一日網走郡美幌町字田中ノ高台ニ旧海軍航空隊カ開隊シ昭和十七年十月吉日守護神トシテ庁舎前ノ杜ニ竜神社ヲ造営鎮座スル
終戦ニヨリ昭和二十年十月吉日美幌町字田中ヨリ美幌神社境内ニ移シ四十年ノ風雪ニ耐エ昭和五十八年五月二十七日崇敬者ノ浄財ニヨリ造営鎮座スル
一 祭神
  上津和田都美神
  中津和田都美神
  底津和田都美神
(碑背)
奉納者
一 美幌町特志奉納者御一同
一 旧美幌海軍航空隊関係者御一同
一 旧海軍在籍者御一同
一 美幌海友会竜神社修復期成会一同
  役員
   (引用略・八名)
昭和五十八年 五月二十七日建立
雑記  鎮座地は市街地の南西端で、最寄駅は石北本線美幌駅市街地の北端あたりでで北(17度)へ2.0kmのところにある。町役場へは北東(49度)へ0.9kmのところにある。

 創祀百年記念碑がある。記念事業として、平成十五年に階段工事・御輿殿及余興場工事・境内整備事業を行ったとある。

祭神について  鳥取からの入地者が出雲の神ではなく戸隠神社の神を祀ったのに疑問を感じたが、次の様だったらしい。(3)
入地の翌年、標を立ててお祭りしました
  明治31(1898)年入地 女満別在 藤沢綱太郎氏 談
 入地の翌年即ち明治32(1899)年の秋9月1日、元戸長役場の側に標を立て、山網走神社と称え、お祭りをしました。コタンでは角力や余興が行われ、越えて34年秋には、美幌小学校前の大きい柏の木を目標に7尺位の角杭を建てノボリをつくりお祭りをしました。拓殖祭と横書の大きな額を掛け、余興には角力などもやったものでした。
 明治37(1904)年に美幌神社ができたとき、守神には宮沢さん(初代神主)の思いつきで、開拓を意味して、これから光りかがやく生活があるようにと思い、天の岩戸を押し開ける太力男命をお祀りすることにしました。
 また明治32(1899)年には国本社農場で稲を試作しましたが、小柄で1穂に56(ママ)(*)粒ほどしかみのりませんでした。当時私は奉公していた体なので地主の指図によって耕作しました。
   (*) 五十六ではなく五六(ごろく)粒の意と思ふ。

 美幌町開基は明治20年(1887)に戸長役場が置かれた時としてゐる。平成29年(2017)には美幌130年祭が行はれた。
 二級町村制施行で、大正4年に美幌村、杵端辺(けねたんべ)村、古梅(ふるうめ)村、活汲(かっくみ)村、達媚(たっこぶ)村、飜木禽(ぽんききん)村が合併し美幌村となった。後(大正8年)活汲村、達媚村、飜木禽村の3大字を津別村(現津別町)として分村してゐる。大正12年に町制施行してゐる。
 なお、津別町は、活汲に旧土人救済事務所が置かれた明治16年(1883)を開基としてゐる。

現在の美幌町は
 人口:約18000、面積:438平方km 人口密度:41人/平方km

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 社号標の後ろ(社殿方)に灯籠一対がある(幟旗の影になってゐる)。竿部分には「祈願 平和」「美幌町開基百年記念 美幌町遺族会」と刻まれてゐる。基礎部分には多くの氏名のほか「美幌町開基百年を迎えるに当り戦没者遺族が日頃の念願を結集し碑前に燈籠を建立せり 御霊よ 安らかに守護あらんことを 昭和五十七年五月吉日」とある。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 鳥居と手水舎
 

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿正面

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 斜め前からみた社殿

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿側面・本殿部分

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 龍神社(境内社)
 本社に向って左側にある
 海軍航空隊の守護神だったが終戦により当社内に遷された

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 地神と龍神社

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方を望む

写真9 写真9 拡大 (1280×960)
 御神木 桂の木
 「愛染かつら」と名づけた旨の碑がある。碑文は、
美幌の街の商家に丁稚奉公してより五十有余年 この桂の如く幾多の風雪に耐え抜いていま美幌の町で自衛している者が相集い夢多き若き日の想い出の唄に寄せてこの樹に「愛染かつら」と名付け奉納する
 昭和五十六年七月八日   丁稚会


写真10 写真10 拡大 (1280×960)
 営巣してゐる鳥を写した
 ガーガーとうるさく何かと思ったら鳥だった。二種ゐるやうだが名は判らない。
 (カメラの解像度の限界で大きくしても定かに識別できない)

御朱印
御朱印 拡大 (1350***×960)
 美幌神社

御朱印
御朱印 拡大 (1360×960)
 龍神社


出典・脚注
  1. 令和5年4月4日閲覧 北海道神社庁 北海道の神社 美幌神社 祭神に「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)(平成元年9月4日 相馬妙見神社合祀)」とある。
  2. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.576
  3. 令和5年4月8日閲覧 北海道開拓倶楽部の [美幌]開拓回顧談 『美幌町史』(昭和28年)に載ってゐる回顧談を北海道開拓倶楽部さんがwebに紹介したのを引用した。

改訂記録
  • 令和06.01.31 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。地図追加(市町村境を示す白地図)

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