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仁頃神社 (北海道〈オホーツク〉北見市仁頃町

参拝日 令和4年6月11日(土)
作成日 令和5年8月3日(木)
よみ  にころ じんじゃ
概要  北海道オホーツク総合振興局管内北見市仁頃町に鎮座する。
  • 祭神は、天照皇大神・大国主大神の二柱
  • 開拓初期に、神名を記した杭を立て祀ったのが始り
  • 大正七年社殿建立
  • 昭和十六年、現社殿建立
  • 昭和三十六年、神社庁包括下神社となった
 
所在地 〈オホーツク管内〉北見市仁頃町165番地1
  北緯 43度53分48.70秒
  東経143度54分04.34秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 グーグルマップ(ズームレベル14)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
 
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 仁頃神社
祭神  天照皇大神 (あまてらすすめおおかみ)
 大国主大神 (おおくにぬしのおおかみ)
由緒  旧社格 該当無し
 北海道神社庁誌(平成11年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒  創立年月日不詳で、昭和二十九年二月十八日に宗教法人法により知事認証が行われている。仁頃神社は創立年月日不詳であるが、大正三年頃、伊藤寿作が発起人として下仁頃六号に神名標木を建立したのを嚆矢とする。その後、大正七年に現在地に本殿、拝殿を建立。 昭和十三年、森下政吉の主唱で改築の識が起き、昭和十六年十月現在の社殿の落成を見ている。昭和二十九年宗教法人となっ た。その後、仁頃神社の氏子内より神社本庁の神社として認可するよう役員会で議決し、役員が連署の上神社本庁に申請、神社本庁統理の承認を受けて昭和三十六年三月十九日付で神社本庁包括神社になった。

 北海道神社庁webには、次の事も載ってゐる。
  • 五十嵐助市、馬渕栄太郎の3人が杭に天照皇大神宮、大国主命と記した6月15日に奉ったのが始まり。
  • 平成16年9月8日の台風18号により御社殿屋根が破損、早速改修期成会を設立、同年内に改修工事が完了した。
  • 平成21年には拝殿部分の屋根、土台等の老朽化が進んだことから、奉賛会を設立し、同年6月15日に工事が終了した。
雑記  最寄駅は、石北本線端野駅で南南東へ6kmの所にある。端野駅は大正元年開業。主要駅では、北見駅が南へ10km(道程13km)の所にある。 
 市役所は、南へ10.5kmの所にある。

開拓記念碑  境内に「仁頃 開拓記念碑」があり、碑誌には次の様に刻まれてゐる。
開拓の始め
 仁頃の語源「ニコロ」は、樹林の良く繁るところの川、亦は、沢というアイヌ語のなまりより呼ばれたものと伝えられています。
 ニコロ原野と屯田兵との因縁は深く 明治三十三年六月、当時兵村二区(現端野町)の花田滑五郎、山田忠松、山野吉次郎、井関保次郎の四名が、ニコロ原野第三号線附近より第五から第六号線を踏して、新地開拓の適地を認め、中隊長の許可を得て、十五万坪の無償貸与を出願したが、未だ殖民地編入にされていない理由から却下され、屯田兵の夢もあえなく消えたといえ開発適地と目されていたのである。その後明治三十四年確測されて、殖民地に編入となり本願寺派の出願によって明治三十九年に認可となって農場開拓に小作人を募集された。この出願から大型農場は次々と願い出がなされ明治末期より大正初期にかけて黒島農場(仁頃町八号から六号にかけ)後、加藤農場に移営となるが、次いで橘農場(実態は、上納兄弟農場)大塚農場 北陽中央丘陵平*地帯を岩田広之助場主の岩田農場が設定された。一方個人出願者には特定地が区画されていた。
 まず入植の初めは明治三十九年本願寺農場に五十嵐助市夫婦と弟たちに続いて、田中五十郎、植木由松、伊藤万作、四名が開墾に従事したのが ニコロ原野開拓ノ黎明となり発祥地で明治四十一年には、馬淵栄太郎、幾平の兄弟家庭が、北陽*足地に*分入殖し続いて菅原幸之助 池田半七等三名が、同四十三年津幡義平、佐藤福治郎等三名が入地、大和では同四十一年橘農場の開放によって、上納利三郎、白井次郎*等四名、同年に黒島農場管理人として藤田*一、杉江作次郎が、転住して来た。同四十四年亀井武夫、野原外次郎 が、橘及び、加藤農場に入殖開墾に従事、今日の仁頃の創世を計った
 明治末期より大正初期にかけ血縁知己をたより入地者増加に増加をたどったが、特に、仁頃十号大和橋附近地帯に大正六年、九三 マッチ軸木仁頃工場が開設されて一段と運搬役馬人が集結し七十*の集団地帯となり、病院、理髪業、商店、警察駐在所も設けられ一大発展化した。しかし経済の渦中と原木材の不足により大正十二年閉鎖となるや一変して工場並びに民家は消え**農耕地と一変し工場労苦者は生計を開拓農民に切替えて定住し***たのでニコロ原野の農場及び特定地は一段と拓かれた。而し、ほとんどが小作人とその経営が続く冷害不作に打撃され苦難の生計の農民層であったが、大塚、岩田、市川、橘と相つぐ農場の開放で自作農層が増加し、終戦で小作地は開放となって自力営農家となった。明治四十三年人口増加に伴い端野小学校下仁頃教授場開設され、最初は八人の児童であった学校敷地三反歩は加藤広吉農場主之寄贈と仁頃民の労資*々の奉仕協力で建設され現下仁頃小学校の前身である。次いで昭和二十二年教育の改制で下仁頃中学校開設、時代の要求で、北見市立仁頃高校の開設も行われた。明るい仁頃の発展は、昭和三十年十月一日国勢調査の全戸数四百九戸人口二千二百三十六人を最高に同四十一年度より過疎化となり同四十九年十月一日の全戸数二百七十三戸人口一千七十八人の現状に立到ったのであります。惟うに有為天変の人の世は実に時々刻々に変る経済社会にもろくまた、ただならず行く川の流れに浮かぶ水泡の且つ消え且つ結びて止まぬ所知らず過疎の浸ぱく力もニコロ原野を密林覆う昔に引き戻すか如きことなく、先人古老の業績によって今日までの仁頃になし遂げたことを彫み以て碑となして後代につえたいとするものであります
 この記念碑を称して「仁頃の世明け」と名づけ老いも若きも諸共に心をしっかり結び、この名づけにふさわしい、明日の仁頃へと努力しよう。
   昭和四十九年十一月二十三日建之

保存樹木  参道脇に掲示があり、次の様に記されてゐる。(横書)
保存樹木
樹種    カラマツ(4本) 所有者 仁頃神社
位置    市内仁頃町165の1
指定年月日 昭和55年9月1日
指定理由
 大正2年に大正天皇が即位された記念に植えられたものと、大正7年にお宮を建設した記念に植えられたものが、それぞれ2本ずつそびえ立っており歴史をしのぶ植栽木として住民に親しまれている
  2008年  北見市下仁頃小学校
      6年  氏名(三名) 
 写真8をみると、参道左右に二本の落葉松(からまつ、らくよう)が良く判る(他の二本は未確認)。指定が43年前なので、当時より随分と大きくなったんだらうな、と思ふ。なお、社殿に向って左の樹の根本付近に「昭和二年十月」と年記された手水鉢が置かれてゐる。

仁頃の人口  北見市仁頃町の人口は直近の国勢調査で122人。開拓記念碑にある仁頃の範囲が外部の人には判らないので比較し難いが、学校の校区である北陽は65人、大和は35人、上仁頃は109人、美里は75人(相内村だったところを除く)と併せても406人。昭和30年の2236人、昭和49年の1078と比べ遙かに少ない
 下仁頃小学校は、仁頃町内に平成21年度末まであった。平成22年度からは上仁頃小学校に合区されたが、それでも令和3年の児童数は17名。1学年あたり、3人。(2)
 「保存樹木」の掲示にある6年生3名は学年全員と思へてくる。


 当日は、オホーツクの神社巡り四日目の一社目。北見市街の宿を出て、着いたのは7時丁度。天気には恵まれてゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 鳥居は木製。写真右側の道路は国道333号線(旭川-北見)で写真奥方向は端野方向。社殿は北西を向いてゐる。
 社号標は背面に「奉納 昭和二十七年九月十五日 同志會一同」とある。石は札幌軟石とみえる。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 参道
 灯籠一対は、大正十五年六月五日建之とある

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿正面
 狛犬が目を引いたので、その写真を別置にした:こちら(1701×960)

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿 斜め前

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿 側面

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 拝殿内
 額の書「敬神」は北海道知事 町村金五

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 「仁頃 開拓記念碑
 碑誌には長文が刻まれてゐる(雑記欄参照)
 社殿に向って左手前にある

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 拝殿前から鳥居方を望む

御朱印
御朱印 拡大 (661×960)
 置戸神社参拝時に、書置きの御朱印を頂いてきた
 

御朱印
御朱印 拡大 (1333×960)
 


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.595-596
  2. 令和5年7月29日閲覧 北見市web 内の 上仁頃小学校:学校の概要

改訂記録
  • 令和06.01.28 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)

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