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沼ノ上神社 (北海道〈オホーツク〉紋別市沼ノ上)

参拝日 令和4年6月9日(木)
作成日 令和5年4月22日(土)
よみ  ぬまのうえ じんじゃ
概要  沼ノ上神社は、北海道オホーツク総合局管内紋別市沼ノ上に鎮座する。市杵島姫之神・大山祇之神・埴安姫之神を祀る。神社庁包括外社。  
所在地  〈オホーツク管内〉紋別市沼ノ上
  北緯 44度14分13.48秒
  東経143度31分2.55秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 マピオン(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
 
HP等  ─
祭神  市杵島姫之神
 大山祇之神
 埴安姫之神
由緒  北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる。(1)
例祭日 九月十日
祭神  市杵島姫之神 大山祇之神 埴安姫之神
(由緒は記載なし)
雑記  最寄駅は石北本線遠軽駅で、当社から南(179度)へ20kmの所にある。紋別市役所は、当社から北西(316度)へ19kmの所にある。
 かつて、名寄本線があった頃は、当社から北へ0.3kmの所に沼ノ上駅があった(地図上の位置:地理院地図)。(写真9参照) 


 本日は、神社巡り二日目。10社を訪れた。
 当社は、本日の一社目。第一案は6:15に網走を出て沙留(さるる)まで行く計画だが、121kmと長距離なので時間の余裕があれば途中で当社と元紋別の藻鼈(もべつ)神社(共に神社庁包括外の神社)をお参りしようと考へてゐた。所が、当社で思はぬトラブル発生。1時間の遅れを取ってしまった。

 当社の由緒はさっぱり判らず残念だが、境内はつつじが咲き彩りを添へてゐた。雑草が茂ることも無く手入れされていると好感。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 遠景

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 社頭
 旗竿の根本に長尾正夫、三室二カの名がある。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿 正面

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿 斜め前から

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 御本殿
 コンクリートの二枚の壁は石の間があった名残だらうか。

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 馬頭観世音の碑
 碑背には「大正三年七月建之 上湧別石工諸岡□太郎」とある。
 鳥居をくぐって左手にある。

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 燈籠一対がある。
 竿部分に「三室漁業」の文字がある。
 当社の北北西にコムケ湖(海跡湖、4.8km2)がある。その湖口に、三室二カ氏によって昭和16年に建設された三室番屋がある(復元物)(2)と云ふ。関係ありさうな気がする。

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方を望む

写真9 写真9 拡大 (1280×960)
 沼ノ上駅跡
案内文には次の様に記されてゐる。
沼ノ上駅の由来
 この地には、かつて沼ノ上駅がありました。
 沼ノ上駅は、大正十年三月二十五日、国鉄名寄線、中湧別興部間の開通に伴い、松浦季藏氏を初代駅長に開設されました。
 その後五十八年を経て、昭和五十三年 第十九代駅長宮本正次郎氏を最後の駅長として無人駅となり、平成元年四月三十日、JR名寄線廃止になり、開設以来六十九年の歴史をここに閉じました。
隣り駅に「こむかい」(小向)と記されてゐるが、昭和31年に4.4km紋別寄りに弘道仮乗降場が設置され、昭和62年に駅に昇格してゐる。小向駅は当駅から6.7km紋別方にあった。


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.1092
  2. 令和5年4月16日閲覧 紋別観光案内所webの三室番屋

改訂記録
  • 令和06.01.31 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)

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