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八幡神社 (北海道〈オホーツク〉紋別市上渚滑)

参拝日 令和4年6月9日(木)
作成日 令和5年6月4日(日)
追記日 令和6年1月30日(火)
よみ  はちまん じんじゃ
概要  八幡神社は北海道オホーツク総合局管内紋別市上渚滑に鎮座する。
・明治二十六七年に入地した三者が小祠を建立
・昭和十年現在地に社殿造営
・昭和十六年創立許可を得た
・昭和十九年村社に列格  
所在地   〈オホーツク管内〉紋別市上渚滑町更生5-2
  北緯 44度14分31.99秒
  東経143度15分15.07秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 グーグルマツプ(ズームレベル14)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
 
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 八幡神社
祭神  応神天皇(おうじんてんのう)
 神功皇后(じんぐうこうごう)
 比淘蜷_(ひめおおかみ)
由緒  元 村社
北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒 明治二十六年、木村嘉永堀川泰洋等一族が郷里新潟県より移住し、同二十七年高知県より岩田宗晴等移住した。開拓の困苦を乗り切る為、この三者が相談り、神の加護により開拓の成功を祈願し、移住者の敬神思想と土着・開拓心の涵養並に団結力の強化を計る為、上渚滑村字渚滑原野四六二番地に小祠を建立し、郷土に於ける信仰の神、応神天皇・神功皇后・ 比淘蜷_の三柱を遷座しお祀りした。昭和十年、福山直人・ 東條富一・棚橋米太郎・辰田長吉・勝藤伊勢吉等が中心となり現在地に社殿を造営し現在に至る。昭和十六年八幡神社として創立許可される。無格社。昭和十九年村社に列し、昭和二十一年宗教法人八幡神社となった。
雑記   最寄駅は石北本線遠軽駅で南東へ29km・道程50kmにある。 
 紋別市役所は北北東へ15km(道程18km)の所にある。
 かつて、渚滑線上渚滑駅が東(85℃)へ0.6kmの所にあった。渚滑線(渚滑駅─北見瀧上間、34.3km)は大正12年開業し、駅も同時開業。昭和60年に全線廃止に伴い廃駅となった。

上渚滑について
  • 人口等(2)(3)  元の上渚滑村域人口 820人(令和2年) (昭和25年:6300人余) 面積 375km2 人口密度 2.2人/km2
  • 沿革
    ・明治39年(1906) 二級町村制施行により紋別郡渚滑村が村制施行し、渚滑村(第一次)発足。
    ・大正7年(1918) 村域の一部が分離され村制施行し滝上村(二級)が発足。
    ・昭和7年(1932) 村域の一部が分離され村制施行し下渚滑村(二級)発足。
    ・昭和12年(1937) 渚滑村(第一次)が上渚滑村に改称。
    ・昭和15年(1940) 紋別郡下渚滑村が渚滑村(第二次)に改称。
    ・昭和29年(1954) 紋別郡紋別町・渚滑村・上渚滑村が合併し、市制施行して紋別市が成立。
  • 元上渚滑村域の神社  神社庁包括下にあるのは当社のみ。国土地理院の神社記号は、当社を含めて十ヶ所ある。(4)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 社号標は「鎮守 八幡神社」

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 参道

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿正面

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿 斜め前から撮影

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 御本殿

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 拝殿内

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 五角柱の五神名地神塔、社殿に向って右手にある
 神名は、天照皇大神、稲倉魂命、埴山媛命、保食命、大巳貴命。

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 開拓記念碑  台座には、国道二七三号線拡幅改良工事に伴う 平成四年五月移転建立、とある。
 碑文には次の様に刻まれてゐる。
碑文  我邑人之父祖初移住此地者僅四十戸時在明治三十年之孟春矣当時本邑為地人煙稀少熊羆出没樹林之間唯望曠原茫漠而己至厳冬則積雪埋檐沍寒裂膚加之衣食匱乏雖罹疾患医薬且不得焉然非労心苦身則不能成其功開拓之業洵可謂難也爾来邑人拮据経営進展以迄于今向者戸口滋加及規画己成分之為■上下渚滑之両今也閭井整然有公廨有庠序其他文化施設亦大備矣是皆父祖之遺沢而為邑人者誰不仰慕哉今茲同志胥謀建設開拓記念碑以伝之於千秋云爾
 昭和十二年丁丑七月建之 從六位 八戸密(*)撰
註  檐:のき(軒)  沍:こおる、ひえる  拮;はたらく  于:ここに  閭:さと、むら  井:井戸のほか、まち、人が集ってゐる場所  廨:役所  庠:まなびや  胥:あい、みな
(*):文字見つからず代用した。正しくは、冠はウ冠ではなく、愛の冠部分。
 また、明治三十年移住者として44名の出身地(県・県・町村)と氏名が刻まれてゐる。徳島県からが17名と多くを占めてゐる。五神地神塔が当社と更生会館に二基あるのも納得。

写真9 写真9 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方を望む

写真10 写真10 拡大 (1280×960)
 忠魂碑
 社殿の右方にある。道路から忠魂碑への参道が付けられてゐる。日清・日露・支那事変の戦死者を含んでゐる。陸軍大将荒木貞夫謹書で碑背に昭和十年七月二十四日建之とある。台座には平成5年7月付で再建した旨記されてゐる。

写真11 写真11 拡大 (1280×960)
 神社の隣地に更生会館があり、同敷地内に五神地神塔(平成四年七月建立 更生部落)と馬頭観世音碑(平成4年7月更生部落建立)がある。


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.597
  2. 令和5年5月13日閲覧 上渚滑村
  3. 令和5年5月13日閲覧 旧村域の人口は、国勢調査町丁・字等別境界データセットの地域別人口を合計して求めた。
  4. 上渚滑の神社  令和5年5月13日閲覧   元上渚滑村域は、現在の紋別市上渚滑町域に当るものして、地理院地図による神社記号の位置と、Googleマップ・Googleストリートビュー、YouTube(*)による社名と社殿等の確認結果(神社庁包括下社を除く)。尚、棒杭神社と云ふこともあり得るので社殿や碑石がなくても、一概に廃社とは云へないと考へてゐます。
      社名    所在地
    • 下渚滑神社 44度19分41.38秒 143度17分23.15秒
    • 出雲神社  44度18分13.45秒 143度17分36.75秒
    • 中渚滑神社 44度18分16.38秒 143度18分15.91秒 社殿確認出来ず
    • 地神碑   44度15分33.65秒 143度16分21.27秒 旭神社(廃社?)境内
    • 上東神社  44度13分39.15秒 143度18分15.76秒 社殿等確認出来ず
    • 地神塔(和訓辺)44度15分5.27秒 143度14分47.19秒 社殿等確認出来ず
    • 奥東神社  44度13分25.98秒 143度14分19.30秒
    • 下立牛神社 44度11分37.51秒 143度13分00.59秒
    • 中立牛神社 44度08分01.72秒 143度11分56.70秒
       (*) YouTube 北海道紋別市の神社全部参拝33社 前編【北海道ひとり旅】 2021-08-16掲載 神社参拝のえーごさん
       同 後編 2021-08-19掲載

改訂記録
  • 令和06.01.30 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。地図リンク先をGoogleマツプに変更。

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