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渚滑神社 (北海道〈オホーツク〉紋別市渚滑町)

参拝日 令和4年6月9日(木)
作成日 令和5年6月19日(月)
よみ  しょこつ じんじゃ
概要  北海道オホーツク総合管理局管内紋別市渚滑町に鎮座する。
 昭和二年に小祠を建立したのに始り、昭和五年に公認神社となり、昭和十七年に村社に列格した。  
所在地 〈オホーツク管内〉紋別市渚滑町8丁目3866/渚滑町字渚滑原野3866番地
  北緯 44度22分 3.34秒
  東経143度18分22.36秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
 
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 渚滑神社
祭神  天照大御神 (あまてらすおおみかみ)
 大国主之大神 (おおくにぬしのおおかみ)
 倉稲魂大神 (うがのみたまのおおかみ)
 少彦名之大神 (すくなひこなのおおかみ)
 事代主之大神 (ことしろぬしのおおかみ)
由緒  元 村社
北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒 明治二十六年木村嘉長・堀川泰洋の一族四戸が来住したことが始まりで爾来移住民の増加を見、明治三十三年十一月分村独立し大正七年滝ノ上村を分村し、村有志相議り昭和二年に小祠を建立し、渚滑村の産土の神霊を祀り昭和三年七月に神社創立を出願し昭和五年渚滑神社として創立の許可を受ける。昭和五年一月十一日無格社、昭和十七年八月二十七日村社、昭和二十八年三月二十七日宗教法人となった。
雑記  最寄駅は、石北本線遠軽駅で、当社から南南東へ38km(道程54km)の所にある。バスは紋別市街、札幌への便がある。 
市役所は、道程6kmの所にある。
かつては、当社から東北東へ1.2kmの所に渚滑駅があったが、平成元年に名寄線の廃止に伴ひ、廃止された。開業は大正10年だった。

灯籠二対
・一対は社殿に近い方  昭和十六年村社昇格記念 奉納者 (二名)
・もう一方は 「発起 渚滑日露戦役出征在郷軍人会第□班 昭和七年六月建之」


【合併前の渚滑村域について】
  • 面積 94km2 (厚木市とほぼ同じ)
  • 沿革(2)
    • 明治39年に二級町村制の渚滑村が発足した。
    • その後、村域の一部を分離して滝上村、下渚滑村が発足してゐる。
    • 昭和12年に上渚滑村と改称
    • 昭和15年に渚滑村に改称
    • 昭和29年に、紋別町・上渚滑村と合併し、紋別市の一部となった。
  • 神社 当社のほかに地理院地図に神社記号は当社の他に一ヶ所ある。
    • 八幡宮(宇津々) 44度19分10.05秒 143度13分26.54秒

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 社号標は「渚滑神社」、背面には「昭和十一年十月建之 紋別郡下渚滑村鎮座」、側面に「北海道廳長官池田清謹書」とある。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 参道

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 参道

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿 正面

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿 斜め前

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 社殿 本殿部分
写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 忠魂碑
 「陸軍大臣荒木貞夫書」、背面に「勅諭下賜五拾周年記念 昭和七年六月建之」とある。
 台座には二枚の石版がはめ込んであり、一枚は「発起渚滑日露戦役出征軍人 在郷軍人分会第一班 以下建設委員氏名」、一枚は「紋別市渚滑町 日露戦役以降戦没者芳名 (56名) 平成七年八月終戦五十年之を刻む 軍恩連盟紋別支部渚滑班 渚滑神社氏子 渚滑町遺族会」とある。

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 社殿前から鳥居方を望む


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.597-598
  2. 令和5年6月15日閲覧 渚滑村

改訂記録
  • 令和06.01.30 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)

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