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西興部神社 (北海道〈オホーツク〉西興部村)

参拝日 令和4年6月9日(木)
作成日 令和5年5月5日(金)
よみ  にしおこっぺ じんじゃ
概要  西興部神社は北海道オホーツク総合振興局管内西興部村に鎮座する。大正十年に社殿を建設し札幌神社(現北海道神宮)から開拓三神を勧請し瀬戸牛神社と称した。昭和十年に村社に列格した。現社殿は昭和39年にオンコ(イチイ)造で改築された。  
所在地  〈オホーツク管内〉西興部村字西興部102
  北緯 44度19分36.23秒
  東経142度56分45.45秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
 
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 西興部神社
祭神  大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)
 大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
 少彦名大神(すくなひこなのおおかみ)
由緒  元 村社
北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)。適宜改行した。
由緒 村史に依ると「大正十年に及び阿部時平等議して、神殿 拝殿の建築に到らしめ、同年九月札幌神社(2)の御分霊を拝し瀬戸牛神社と称へ、瀬戸牛、六興、忍路子(3)の守護神として、同月十四日祭典を挙行せり」とある。
 昭和八年神社改築の声が高まり改築造営は柳田村長が委員長となり、設計は佐呂間村役場に委託、昭和九年七月一日着工、同年九月三日竣工した。総工費二三五〇円、 内訳一七〇〇円は村費、六五〇円は氏子の寄進に依る。
 昭和十年十一月村社に昇格、翌十一年神饌幣帛料供進神社に指定された。
 昭和三十九年社殿腐朽が目立ち始め神社の改築が決まり、三浦新次らの提唱に依り、建築材は総てオンコ(イチイ)造りとし、建築材の一切は三浦新次の寄進により、同年九月竣工した。予算七〇万円、建築用オンコ材料代金約七五万円は三浦新次の寄進に依り予算に含まれていない。
雑記  最寄駅は宗谷本線名寄駅で西(273度)へ38km(道程46km)、村役場は北北西(335度)へ0.25kmの所にある。 
 かつて名寄本線があった頃は西興部駅が北(2度)へ0.4kmの所にあった。(大正10年開業、平成元年名寄線廃止で駅も廃止)

西興部村について
  • 人口等  人口 約1000人 面積 308km2(厚木市の3.3倍) 人口密度 3.3人/km2 
  • 分村  大正14年(1925)、興部村から分村し、二級町村制施行
  • 村名・駅名  興部村からの分村前の当地は、七重(ななえ)と呼ばれてゐた。西興部駅の周辺地は村の中心地で、地名は「瀬戸牛」でそれを以て駅名とし、昭和20年頃に瀬戸牛の字名は西興部となった。駅名は昭和36年に西興部駅と改称された。(3)
  • 村内の神社 神社庁包括下にあるのは当社のみ。国土地理院の神社記号は七ヶ所ある(4)

 本日五社目の参拝
 社殿は随分と古い物にみえたが、材木はオンコ(イチイ)と知ったら愛でたく思へてきた。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 向って左手はキャンプ場

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 社頭
 

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿正面

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿(斜め前から撮影)

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 手水鉢

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 忠魂碑 社殿に向って右方にある
 台石には「御大典記念」の文字がある。
 向って右方には五神名地神塔が小さく写ってゐる。(写真8参照)

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 五神名地神塔

写真9 写真9 拡大 (1280×960)
 開拓記念碑 当社から滝上へ向ふ途中、道ばたに建つてゐるのに気づいたので立寄った。字中藻と字上藻の境辺りにある。当社から南東へ2.8km・道程4.9km。
 書は堂垣内知事。
(背面) 
  開拓ここに七十年尊い信心
  友愛団結の精神を貫きて
  永遠へにひきつがん
  岐阜団体大正二年入植
  団体長 故大沢善助
         たき
  (以下略 計14戸、山形県1戸・福井県1戸の名もある)
(台座)
  昭和五十五年建立 (12の氏名記載があるが略)
直近の国勢調査によると中藻は7戸18名、上藻は14戸25名の人口しかない。建碑から43年、跡継は健在だらうか。


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.601
  2. 札幌神社  現 北海道神宮。明治二年に「北海道鎮座神祭」が東京で行はれ、明治天皇の勅旨により開拓三神が降神された。明治四年に札幌神社と社名を定め、札幌の円山に開拓三神をお祀りした。昭和三十九年、祭神に明治天皇を加へ北海道神宮と改称した
  3. 令和5年5月5日閲覧 Wikipedia 西興部駅
  4. 令和5年4月20日閲覧  地理院地図による町内の神社記号の位置と、Googleマップ・Googleストリートによる社名と社殿等の確認結果。(当社を除く)
    • 上興部神社 44度20分15.57秒 142度52分38.47秒
    • 奥興部の社 44度20分6.45秒 142度51分49.92秒
    • 中藻神社  44度20分57.16秒 143度0分10.16秒 旧社地らしい
    • 六興神社  44度20分55.71秒 142度57分59.28秒 草木に埋ってゐる
    • 中興部の神社 44度22分57.71秒 142度59分6.81秒 社殿確認出来ず
       直近の国勢調査によると中興部の人口は7世帯15名
    • 字西興部北部の神社 44度19分52.52秒 142度56分45.60秒 社殿確認出来ず

改訂記録
  • 令和06.01.30 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)

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