よみ
とよずみ じんじゃ
| 概要
| 北海道オホーツク総合振興局管内置戸町字豊住に鎮座する。祭神は天照大神。神社庁包括下にはない単立神社。
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所在地
| 〈オホーツク管内〉置戸町豊住(おけとちょう とよずみ)70-3
北緯 43度42分11.21秒
東経143度38分17.09秒
地理院地図(ズームレベル15)
グーグルマップ(ズームレベル14)
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地図
| 参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
・東西290km 南北270km
・+印:当社位置
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・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
・○印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
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HP等
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祭神
| 天照大神(1)
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由緒
旧社格 該当無し
北海道神社庁誌(平成11年)には次の様に載ってゐる(2)。
由緒 創立年代未詳。社殿等は縮小して現在地に存続。
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続置戸町史(平成21年)(3)には次の様に記してゐる。
その他 離農多く祠や碑を独自で維持していくことが困難となり、置戸神社境内に移遷した集落が多いが、現在前記の四社(*)ほかでは豊住神社が従来どおり祭事を行っている。
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(*):置戸神社、勝山神社、境野神社、秋田神社
| 雑記
| 最寄駅は石北本線留辺蕊駅で道程13km、北見駅は道程31km離れてゐる。
かつては、北海道ちほく高原鉄道の豊住駅が当社から西南西へ0.6kmの所にあった。同駅は昭和30年開設で平成18年廃止であった。線名は、当初の網走線から網走本線、後に池北線に、さらに経営が第三セクター化でふるさと銀河線と名を変へた。線路は明治44年に開通してゐた。明治44年開業駅で最寄は置戸駅で南西へ4.9kmの所にあった。
町役場は、置戸にあり、当社から南西へ5.1km。
昭和52年の航空写真(4)で当社を見ると畑の中に林が残り、100m近い参道と社殿が見える。昭和61年の航空写真(5)では林は無くなってゐる。全くの想像だが、立木を売って社殿建替えに充てたのだらうか。
【置戸町】について
- 人口等
- 人口:2645人(令和5年6月末、厚木市の1.2%)
- 面積:527km2(厚木市の5.6倍)
- 産業 畑作・酪農・林業
- 沿革
- 明治41年 豊住地区の開基
- 明治44年 鉄道開通(網走線、後、幾度かの線名改称)
- 大正4年 野付牛村(現北見市)から分村し、置戸村となった。
- 大正9年 訓子府村を分村
- 昭和25年 町制施行
- 平成18年 鉄道廃止(開通時は網走線、廃止時は、ふるさと銀河線)
- 置戸町の神社 神社庁包括下の社は、置戸神社・勝山神社の二社がある。地理院地図にある神社記号の数は二社のほかに、当社を含めて6箇所(6)ある。
- 十勝岳の噴火被害
- 置戸町webサイトには「置戸町デジタル郷土資料館」(7)があり、様々な写真・画像が閲覧できる。森林鉄道地図や、大正期の地図などをみてゐる内に、置戸タイムスの昭和37年7月5日の記事に「十勝岳爆発の火山灰 農作物に被害でる」と題した記事があるのに気づいた。降灰は豊住で厚さ2.5cm、10cm四方当り14gでかなりの被害が予想されると云ふ。十勝岳は置戸から西南西へ79kmの所にある。十勝岳の噴火と云はれると積雪期には融雪による泥流発生での大被害を強調されるのを見聞きしてゐて、その他の被害には関心が薄かった。
- 美瑛町webサイトの「十勝岳噴火の記録」(8)によると大正15年(1926)、昭和37年(1962)、昭和63年(1888)の情報が載ってゐる。wikipediaによると文献に登場するのは、安政4年(1857)、明治20年(1887)に噴火してゐる。これらを見ると現在まで26〜39年置きに噴火してゐる。
- 今も噴煙をあげてゐるので、要警戒には違ひない。
- 定期的な噴火と云ふと有珠山が思ひ起される。明治新山(明治43年)・昭和新山(昭和19年)・有珠新山(昭和52年)・平成12年(2000)噴火がある。昭和52年の噴火の何年か前、銀沼と云ふ池と周囲の林を散歩したことがあり、自然の美しさを知った。再訪したいと思ってゐたが、火口になってしまった。平成12年の噴火では、鉄道(室蘭本線)が不通となり、ニセコや余市を経由する函館本線で列車が運転された。次の噴火時に室蘭本線が不通となれば、北海道新幹線の札幌延伸を受けて長万部-小樽間が廃線になってゐると貨物輸送は止るのではないかと、直接の被害者だけに留まらず全道に及ぶ心配もある。まさか、函館─長万部間も廃線、とはならないと思ふが。
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