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瀧上神社 (北海道〈オホーツク〉滝上町)

参拝日 令和4年6月9日(木)
作成日 令和5年5月19日(金)
追記日 令和6年1月30日(火)
よみ  たきのうえ じんじゃ
概要  瀧上神社は北海道オホーツク総合局管内滝上町に鎮座する。大正二年に元町高地に天照御大神・豊受姫大神祀ったのが創祀、大正七年大山祇大神を合祀した。昭和九年に現在地に遷座し、昭和十九年村社に列格した。現社殿は平成六年に建立。  
所在地  オホーツク管内〉滝上町サクール原野33番地(旭町)(1)
  北緯 44度11分33.56秒
  東経143度4分29.32秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 Googleマップ(ズームレベル14)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
 
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 瀧上神社
祭神  天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 豊受姫命(とようけひめのみこと)
 大山祇命(おおやまつみのみこと)
由緒  元 村社
北海道神社庁誌(平成11年)には次の様に載ってゐる(2)
由緒 大正二年九月旧士別通り高地を社地と定め、御祭神天照大御神・豊受姫大神の二柱を奉斎し開拓の守護神として創祀された。後に大正七年大山祗大神を勧請合祀し奉った。昭和八年村社創立の議が起こり、天塩岳に源を発する渚滑川とサクルー川の合流する町の中央部、山秀水麗の高地を鎮座地とし、昭和十二年社殿を造営した。昭和二十一年宗教法人設立。平成五年御創祀八十年御遷座五十五年を奉祝し社殿御造営期成会が発足されるや、当町を始め全国各地より敬神の念厚き崇敬者の奉賛を得て、平成六年十月神明造りの新社殿が建立された。平成七年一月伊勢神宮より内宮御正殿勝男木・別宮滝原竝宮御鳥居を含む二十二石余を御下賜の誉に浴し、同年八月御鳥居を建立した。

「瀧上神社創祀100年記念碑」の台石にはめ込んだ石版には次の様に刻まれてゐる。
滝上神社は大正二年、石立芳太郎氏、吉田京藏氏両人の発起によって、現元町高地林内に「天照御大神」「豊受姫大神」を奉斎し本町開発の守護神として祀る。大正七年木材業者崇敬の守護神「大山祇大神」を、勧請合祀する。昭和九年現在地に遷座。村社創立の議により昭和十二年十一月造営遷宮祭を斎行。昭和十九年村社列格。平成六年新社殿を建立。茲に平成二十六年六月十五日、創祀百年祭を奉祝し記念碑を建立。以て歴代宮司並びに功労者の功績を顕彰する。
歴代宮司(氏名記載略 六名) 
奉賛会長(氏名記載略 五名) 
奉献  (氏名記載略 六名)
総代長 (氏名記載略 二名) 
顧問  (氏名記載略 二名) 
題字揮毫(氏名記載略 一名)
 平成二十六年 六月建立  
台石の上に角の丸い自然石の碑石が載ってゐるが、その隙間には黒い石(石炭とみえた)が入れられてゐた。石炭なら産地はどこだらうと気になった。  
 
境内社 三景天満宮
日本三天神防府天満宮分祀 三景天満宮
御本社  山口県防府市鎮座 防府天満宮 (北野・太宰府と併せて日本三天神と称せらる)
御祭神 菅原道真公 天穂日命 武夷鳥命 野見宿祢
御祭日 鎮座大祭五月二十二日 神恩感謝祭七月中旬 月次祭毎月二十二日
 
御由緒 滝上神社宮司の発願により 昭和六十三年二月防府天満宮御分霊勧請奉迎団を組織し 大原市松団長はじめ一行二十四名が防府天満宮に赴き御分霊を拝載 同年五月鎮座奉祝祭斎行のため御本社より 鈴木健一郎宮司・職員はじめ防府市議会議員十一名が来町され 盛大に祭典が執行された 平成十年七月鎮座十周年を記念し玉垣・鳥居・社名額が新しく奉納された
雑記   最寄駅は石北本線丸瀬布駅で南西へ30km道程47km、旭川・札幌方面であれば上川駅で南南西へ46km・道程64kmとなる。
 滝上町役場はへ東南東へ0.3km・道程0.5kmの所にある。
 かつては、北見滝ノ上駅が北西へ0.3kmの所にあった(大正12年開業、昭和60年渚滑線廃止と共に駅も廃止)。

滝上町について
  • 人口等  人口 2300人余  面積 767km2 人口密度 3.1人/km2 昭和35年には1万3000人余 森林面積は町の90%
  • 分村  大正七年 渚滑村から分村、二級町村制の滝上村となった。
  • 町制施行  昭和22年 町制施行
  • 濁川森林鉄道  渚滑線濁川駅を起点に南へ二本(一つは渚滑川沿ひ、一つはオシラネップ川沿ひ)総延長は約80km 昭和15年〜昭和34年(1935-1959)。 昭和29年の洞爺丸台風で未曾有の森林被害を受けた(3)。津別森林鉄道と同様に風倒木処理後は輸送量激減したのだらうか。
  • 町内の神社  神社庁包括下にあるのは滝上神社のみ。神社庁包括外の神社は、国土地理院の神社記号に限ると当社を含めて十四社がある(4)
 滝川町webの「町のあゆみ」(3)には大正2年9月滝上神社建立と記載があり、好ましく思った。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 参道
 社号標は「瀧上神社」。背面に「奉献 紀元二千六百年記念 お二人の氏名」、側面に「北海道廳長官 戸塚九一郎謹書」(5)とある。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 鳥居 ほか

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿正面
  (近くからの撮影を失念)

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 社殿 斜め前から撮影

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿 側面・御本殿

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 聖徳太子宮
 参道の長い石段を登り切った左手にある。

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 三景天満宮
 二の鳥居(木製)の手前右側にある。

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 産土宮
 正面に五社の名を記した札がかかってゐる。合祀された神社と思はれる。読取れるのは滝奥神社・金刀比羅神社・七福神社。建物内にはいくつかの小さい祠が納められてゐる。

写真9 写真9 拡大 (1280×960)
 忠魂碑
 本社に向って右手にある。
 「陸軍中将 渡辺錠太郎 謹書」(6)とある。また、碑背には「昭和三年十一月竣功」とある。

写真10 写真10 拡大 (1280×960)
 境内の様子
 写真右から、忠魂碑、本社、三景天満宮。

写真11 写真11 拡大 (1280×960)
 境内から見た滝上公園
 サクルー川を挟んだ対岸(左岸)上にある。芝桜は既に終ってゐた。
 芝桜は、昭和29年の洞爺丸台風で公園の桜の木が壊滅状態となったあと、昭和34年にお寺の境内に咲いていた芝桜を譲受けて公園の片隅に植えたのが始りと云ふ。

御朱印
御朱印 拡大 (***×960)
 滝上神社
 書置きで月日の記入も受けられなかった。

御朱印
御朱印 拡大 (***×960)
 聖徳太子宮(境内社)

御朱印
御朱印 拡大 (***×960)
 三景天満宮(境内社)


脚注 (補足や出典等)
  1. 瀧上神社の住所について  住所の「サクルー原野」に違和感があり調べたら表記は様々。
  2. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.598-599
  3. 令和5年5月12日閲覧 北海道滝上町webの町のあゆみ
  4. 町内の神社  地理院地図による町内の神社記号の位置と、Googleマップ・Googleストリートによる社名と社殿等の確認結果(令和5年4月25日閲覧)。(神社庁包括下社を除く)
    • 滝下神社 44度12分34.49秒 143度10分1.29秒
    • オシラネップ原野の社 44度9分27.36秒 143度6分53.27秒 確認出来ず
    • オシラネップ原野の社 44度9分24.65秒 143度7分2.16秒 確認出来ず
    • 濁川八幡神社 44度11分23.67秒 143度6分29.83秒
    • あけぼの町の社 44度11分18.99秒 143度5分2.46秒 確認出来ず
    • 滝美町の社 44度11分29.40秒 143度4分55.55秒 確認出来ず
    • 熊野神社(白鳥) 44度8分52.89秒 143度4分35.39秒 熊野神社跡とある
    • 白鳥の社 44度8分29.11秒 143度4分10.82秒 確認出来ず
    • 第二区の社 44度10分15.57秒 143度2分13.33秒 確認出来ず
    • 三区神社 44度7分40.38秒 143度0分31.21秒
    • 滝西神社 44度6分46.09秒 143度0分38.00秒
    • 四区神社 44度6分5.87秒 143度0分6.41秒
    • 五区神社 44度2分3.52秒 142度59分49.57秒 石像物あるが祭祀されてゐるかはやや疑問
    • 札久留神社 44度12分32.61秒 143度1分6.20秒
  5. 戸塚九一郎  以下は、Wikipedia戸塚九一郎より。昭和48年没、82歳。北海道庁長官は昭和14年9月〜17年6月、北海道開発庁長官、苫小牧港開発社長も務めた。ほかに、知事は徳島県・山口県・宮城県・福岡県知事を歴任。戦後は衆議院議員三回当選。労働大臣(7ヶ月)、建設大臣(1年4ヶ月)、北海道開発庁長官(11ヶ月)として入閣。
  6. 渡辺錠太郎  以下は、Wikipedia 渡辺錠太郎より。 大正15年(1926)3月第7師団長に親補される。教育総監 兼 軍事参議官在職中に二・二六事件(昭和十一年)で殺害された。61歳没。

改訂記録
  • 令和06.01.30 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)、地図へのリンクをGoogleマツプに変更。

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