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湧別神社 (北海道〈オホーツク〉湧別町緑町)

参拝日 令和4年6月10日(金)
作成日 令和5年7月2日(日)
よみ  ゆうべつ じんじゃ
概要  北海道オホーツク総合振興局管内湧別町に鎮座する。大國主命・言代主命を祀る。
  • 明治二十七年、ウルワッカの河畔に創建されたのが前身で
  • 明治二十九年、現在地に小祠を建て、遷座した。
  • 明治四十三年、公認神社(無格社)となり、
  • 大正八年、村社へ昇格、下湧別村(後に湧別町と改称、新設合併前の湧別町)全村民を氏子とした村の神社となった。
  • 平成十七年、社殿造営・社務所新築・境内環境整備を行ふ。
 
所在地 〈オホーツク管内〉湧別町緑町51番地
  北緯 44度13分31.82秒
  東経143度36分58.20秒
 地理院地図(ズームレベル15)
 マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
 
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 湧別神社
祭神  大國主命(おおくにぬしみこと)
 言代主命(ことしろぬしのみこと)
由緒  旧社格 村社
 境内の掲示があり、次の様に記されてゐる。
湧別神社(ゆうべつじんじゃ)由緒

  御祭神 大國主命 (おおくにぬしみこと)
      言代主命 (ことしろぬしのみこと)

 明治二十七年にウルワッカの河畔に創建されたのが前身で、同二十九年に大国主命・事代主命を御祭神として 現在地に小祠を建て遷座した。
明治三十六年、社殿並びに御拝所を建立。明治四十三年無格社に昇格。大正七年拝殿造営。大正八年四月 村社へ昇格し、全村民を氏子とした 村の神社となる。昭和二十一年宗教 法人となる。昭和四十三年社務所改築。昭和四十四年社殿の一部改修を行う。平成十七年九月十五日、百年振りに 社殿を御造営する。また社務所新築及び境内環境整備事業を行う。(現社殿)

 北海道神社庁誌(平成11年)には次の様に載ってゐる(1)
由緒 明治二十七年にウルワッカの河畔(2)に創建されたのが前身で、同二十九年九月に大国主命・ 事代主命を祭神として現在地に小祠を建て遷座した。明治三十六年、社殿並びに御拝所を建立。明治四十三年十一月十六日、無格社に昇格。大正七年、拝殿造営。大正八年四月二十二日、村社へ昇格し、全村民を氏子とした村の神社となる。昭和二十一年五月二十日、宗教法人となる。昭和四十三年二月二十三日、社務所新築。昭和四十四年、社殿の一部造営改修をおこなう。
雑記  最寄駅は石北本線遠軽駅で、南南西へ19.9km、道程は20.5kmの所にある。
 かつて湧別駅が南西へ0.9kmの所にあった。名寄本線や湧網線に接続してゐた。湧別駅は大正5年開業し、名寄本線の廃止に伴ひ平成元年廃止となった。
 町役場は、南南西へ8.9kmの上湧別の市街地にある。

 二の鳥居と灯籠の間には手水舎があり、手水鉢には奉納者名として八名の他に「昭和十七年九月吉日 即位の礼記念 小谷啓 平成二年十一月修築」とある。先人に対する敬意を感じる。

 チューリップ公園が上湧別神社の近くにある。咲いてゐれば ちら とでも見られないかなと思ってゐたが、花は終ってゐた。
 

【湧別町】について
    平成21年に当時の湧別町と上湧別町が合併し新たな湧別町が発足した。
  • 人口等
    • 人口:8000人余(合併前の湧別町域:4800人余)、
    • 面積:506km2(合併前の湧別町域:344km2)
    • 人口密度:16人/km2(合併前の湧別町域:14人/km2)
  • 沿革(3)(4)
    • 寛文元年(1661):『元禄御国絵図』に「ユウベチ」の地名あり
    • 明治3年(1871):藤野四郎兵衛が湧別で漁業開始
    • 明治15年(1882):湧別町の開基
    • 明治30年(1897):屯田兵第一陣入植、翌年第二陣着、計399戸。上湧別町の開基
    • 明治39年(1906):村名を湧別村とする
    • 明治43年(1910):村を分割し下湧別村・上湧別村とする
    • 大正8年(1919):上湧別村から遠軽村が分村
    • 昭和28年(1953):町制施行、湧別町(元下湧別村)・上湧別町となる
    • 昭和57年1972  1871
    • 平成21年:湧別町と上湧別町が新設合併で、(新)湧別町となる。
  • 湧別町の神社 合併前の元湧別町域の神社は、神社庁包括下にあるのは湧別神社のみで、地理院地図に神社記号は10ヶ所あった(5)。(上湧別町域にある神社については、上湧別神社の訪問記で記す予定)



湧別機雷事故  上には記さなかったが、110名余が亡くなった「湧別機雷事故」があったのを知った。
 昭和17年、浜に漂着した国籍不明の二個の機雷を爆破処理のため、一個を移動してゐたところ爆発したと云ふ。106人が即死。亡くなった人数に驚いた。
 現場に慰霊碑が建立され、一時湧別神社境内に移されたが、護岸工事完了後の平成3(1991)に元の場所にもどされたと云ふ記述があった(6)。 googleマップでみると、「機雷殉難の塔」があった(7)が、元に戻されたと云ふより新たに建てられたとみられる。
 他の記事を探してみると、webサイト北海道慰霊碑巡礼の旅(8)に、湧別神社境内にあると記されてゐる。地理院地図には記念碑記号がいくつか記されてゐるのでgoogleストリートビュー(2014年6月)でみると記事にのってゐる写真「殉難者慰霊碑」と同じものが見つかった。森の宮センター(自治会の集会施設)の北西側にある。写真は背景も大事。それにしても、知らなきゃ、ここまでは見学に行かないなぁ。


「義勇奉公」の碑(写真7)がある。碑誌には次の様に記されてゐる。
(背面)
【建立の経過】 (横書)
 明治43年3月5日に公認された消防組は、幾多の組織改革、施設の充実などの変遷を経て、昭和9年に創立る25周年を迎えることとなった。
 下湧別消防組第1部共睦会では、消防組の現職者や退職者、地区の住民による記念事業として記念碑を建立することとした。
 碑の台座には消防組発足から25年の間、消防組に入退職した人々、現職で活躍していた人々の名を刻み、石碑に「義勇奉公」と刻字し、昭和9年6月30日に完成した。
 この碑は、将来に向って消防の目的である防火意識の高揚と、町民の生命及び財産の保護、社会公共の福祉に資することを確認しあうもので、当時の消防組の志を今日に伝えるものである。
(側面)
創立満貳拾五周年記念
公認 明治四拾三年三月五日
(側面)
起工 昭和九年五月四日
竣工 昭和九年六月三十日
   下湧別消防組第一部 共睦會
改修 平成二十六年六月

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 一の鳥居
 社号標 「村社湧別神社」、背面は「創立明治廿九年九月十五日 昇格大正八年四月二十二日」とある。台部分に港関係者と見られる氏名と○年記念とあるが、○の部分が読めない。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 狛犬と二の鳥居
 二の鳥居前には公道がある。
 狛犬は大正十四年二月建之、四十二歳と三十三歳の厄除祭記念とある。幾人もの名が刻まれてゐる。
 鳥居に寄って撮影した写真が、綺麗なので、こちらに別置き(1280×960)。

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 社殿正面
 灯籠は大正十年九月建立

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 斜め前からみた社殿

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 社殿側面(御本殿部分)

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 拝殿内

写真7 写真7 拡大 (1280×960)
 「義勇奉公」の碑
 昭和九年建立。碑誌には色々記されてゐる。(記載内容は雑記欄参照)

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 拝殿前から鳥居方を望む

御朱印
御朱印 拡大 (675×960)
 


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.596
  2. 令和5年6月28日閲覧 錦町開基百年記念史  「宮は明治27年の創始で、神社はウルワッカの河畔にあった」(大正5・11・5 北海タイムスの記事で横沢金次郎談) とあるが、ウルワッカの河畔とはどこなのか判らない。大正のころは皆の常識だったのだらう。湧別川の河畔の地名と想像するしかない。
  3. 令和5年6月28日閲覧 湧別町web内 第一期湧別町総合計画  
  4. 令和5年6月27日閲覧 湧別町  
  5. 令和5年6月27日調べ 地理院地図とグーグルマップによる社名の特定結果は次の通り。一部はwebサイト「昭和の小漁師」内 湧別町百年史第10編 第4章宗教文化 (2)神社の沿革 による。
      社名   (所在地) 緯度・経度    読み
    • 信部内神社(信部内) 44度13分50.47秒 143度31分48.94秒 しぶない
    • 不詳(*1) (川西)  44度13分04.36秒 143度34分54.10秒
    • 登榮床神社(登栄床) 44度11分19.59秒 143度44分17.86秒 とえとこ
    • 芭露神社 (芭露)  44度09分00.51秒 143度40分55.00秒 ばろう
    • 熊野神社 (芭露)  44度08分06.96秒 143度41分36.18秒 ばろう
    • 上芭露神社(上芭露) 44度05分48.54秒 143度39分25.01秒
    • 西芭露神社(西芭露) 44度03分54.62秒 143度37分01.56秒
    • 東芭露神社(東芭露) 44度02分56.66秒 143度38分28.85秒 
    • 不詳   (志撫子) 44度05分27.57秒 143度41分43.13秒 しぶし
    • 計呂地神社(計呂地) 44度03分32.80秒 143度43分32.20秒 けろち

    このほか、湧別町百年史に記載の神社で場所を特定できたのは次の二社
    ・志撫子神社(志撫子)(*2) 44度6分9.62秒 143度42分9.86秒
    ・金刀比羅神社(東)44度11分26.84秒 143度40分6.42秒 丁寧(ていねい)鎮座
     (*1) 川西神社が北東へ200mの所にあったが、昭和47年に湧別神社に合祀されてゐる。
       webサイト「昭和の小漁師」内川西郷土史
     (*2) webサイト「昭和の小漁師」内 志撫子郷土史 > 部落沿革 6.志撫子神社
  6. 令和5年6月29日閲覧 湧別機雷事故
  7. 令和5年6月29日閲覧 googleマップ 機雷殉難の塔
  8. 令和5年6月29日閲覧 webサイト北海道慰霊碑巡礼の旅【湧別町】機雷事故慰霊碑 touch55さん 2014/8/31投稿

改訂記録
  • 令和06.01.29 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)

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