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函館護国神社 (北海道〈渡島〉函館市青柳町)
参拝日 平成30年9月4日(火)
作成日 令和元年12月21日(土) 追記日 令和6年3月31日(日) |
はこだて ごこく じんじゃ
| 〈渡島管内〉函館市青柳町9-23
| (北緯41度45分33.34秒 東経140度42分47.95秒) 地図:地理院地図 いつもNAVI 参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等
| Wikipedia:函館護国神社
| 当社HP 祭 神
| 戊辰戦争から日清戦争、日露戦争、満州事変、支那事変、大東亜戦争などにおいて尊い生命を捧げられた13000余柱の御霊
| 元 指定護国神社、単立
| 北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)。
雑 記
| 函館駅から南南西へ2.0km、函館市電宝来・谷地頭線宝来町停留場からは西南西へ0.6kmの函館山東側麓にある。
| 慰霊の碑がいくつも建立されてゐる。 当社HPには、石碑の写真と建立の趣旨について記載されてゐるので、碑文のみをここに転記し、HPの理解の助けにしたい。 「鎮魂」碑 内閣総理大臣 三木武夫
帝国海軍駆逐艦 橘鎮魂之碑 (一部を除き碑文は横書)
少年海員之碑 運輸大臣 中村寅太書
学徒援農記念碑「大地への献身」碑
神社巡り、三日目の四社目。八雲町の八雲神社を参拝後、函館に来た。1420着。ほぼ2時間かかった。計画は、79kmを平均速度45km/時 で走り1時間45分で着く、としてゐたので少し押してしまった。 台風が更に近づいたのか、小雨ながら風が強く、傘がさしづらい状態。草木は濡れてゐるし、足下には水たまりもあり、歩き回りたくなかった。幸ひ、石碑は多くなく早々に参拝・見学を終えた。 この文書を書くに当って、当社HPを見て判ったが、参拝時は、「陸海軍戦死者人名碑」「旧官修墳墓(新政府軍の墓)」「戊辰薩藩戦死者墓」ほか、存在を知らずに詣り損ねてゐた。 今日はこの後、140km走って、黒松内で宿泊することにしてゐる。明日は札幌で12時30分までに車を返却する予定にしてゐるから、先へ進んでおかなければいけない。台風の速度が上がり、早く来るなら、あと三社を巡る予定を切上げなくてはいけなくなる。 台風21号は、12時前に徳島県南部に上陸し、直前の観測で中心気圧950kPa、中心付近の最大風速45m、北北東へ進んで今日の深夜には渡島半島沖を通ると予想されてゐる。洞爺丸台風(昭和29年台風15号)と似た進路で、勢力も強く、倒木で道路が塞がれたりはしないだらうかと、気になる。まだ、大阪辺りにあるやうだが。 14時45分、函館八幡宮へ向け出発。直ぐ近くだ。 |
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出典・脚注
改訂記録
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