神社訪問記HP北海道札幌市 > 白石区

白石神社 (北海道〈石狩〉札幌市白石)

参拝日 平成30年11月3日(土)
作成日 令和2年6月13日(土)
追記日 令和6年3月23日(土)
よ み  しろいし じんじゃ  
所在地  札幌市白石区本通14丁目北1番12号 (43度2分24.64秒 141度25分42.03秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 白石神社
・Wikipedia:白石神社(札幌市)
祭 神  神倭磐余毘古尊(かんやまといわれひこのみこと=神武天皇)
由 緒  元 村社
 北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)
由緒  明治五年二月白石村百番地を社地と定め、札幌神社が円山に移転したあと其の旧社殿を此の所に移築して社殿となし、開拓使岩村通俊が橿原神宮より御分霊を奉戴して白石村守護産土神とし属官高橋渉を別当とし奉祀したことに始まる。
   注 札幌神社は現在の北海道神宮。昭和39年に明治天皇をお祀りし、北海道神宮と改称した。

 境内の掲示には次のやうにある。
  由緒記

  御祭神
神武天皇(神倭磐余毘古尊(かんやまといわれひこのみこと))

  御由緒
 当神社は明治五年三月白石村百番地を社地の定め札幌神社を円山に移転したので其の旧社殿を此の所に移築して社殿となし開拓使岩村通俊橿原神宮より御分霊を奉戴して白石村護産土神とし属官高橋渉を別当とし奉祀したことに始まる。
 その後年を逐うて護栄奉り幾多の変遷を経て昭和四十二年十一月二十三日には現社殿の御造営成りその威揚は札幌近在に誇り全氏子の敬神の殿堂として具現するに至った。
 そして今や白石区総鎮守として御神威いよいよあらたかに全住民に崇敬されていることはいとも尊しとするところなり。

  大祭日
一. 四月十一日 春祭(新年祭)
一. 九月十一日 例大祭
一. 十一月二十三日 勤労感謝祭(新嘗祭)
神社本庁
白石神社
雑 記  函館本線白石駅(明治36年開業)から南東へ2.1km、千歳線平和駅(昭和61年開業)から南西へ1.1km、地下鉄東西線南郷13丁目駅(昭和57年開業)から北西へ0.7kmの所にある。

 当社の後方には月寒川が流れてゐる。社殿に向って右側へ階段を降りてゆくと、池と境内社がある。湧水があって、かつては飲用できたが、水質悪化で飲用できなくなった。都市化でさうなるのは何処も同じとみえる。境内社は、白石龍宮神社、白石弁天社、白石伏見稲荷神社、白石天神社。
 札幌での初詣参拝者は北海道神宮に次ぐ二番目の多さといふ。龍宮神社(環境を含めて)あっての人気なんだろうと感じる。

 月寒は「つきさっぷ」だと父から教わった記憶がある。調べると地名の読みは昭和18年に「つきさむ」に変更されたといふ。
 月寒駅が、北海道鉄道にあった。大正15年開業。同線は、後に戦時買収され国鉄線となり、昭和48年に千歳線の線路付け替えで旅客扱廃止となってゐるが、駅名は「つきさっぷ」のままだった。本来の地名は「つきさっぷ」だといふ意識は、国鉄や近隣住民にあったんだらうと思ふ。線路跡は自転車歩行者専用道になってゐる。(月寒神社参拝記に書けば良いが、何時参拝できるか判らないので、月寒川からの連想で記した)
 といふ訳で地図を確認してゐると、白石神社の位置が少し違ふのに気づいた。大正7年・昭和12・28年や地図をみると、国道から直角に参道があり、現在の道路上(白石藻岩通、昭和28年までの地図には道路は無い)にあり、河岸段丘(多分)の下から上にのぼって社殿前に至ってゐるやうに読める。現在北東を向いてゐる社殿は、かつては南西向きだったやうだ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  社頭


 写真2 


写真3  池と境内社の鳥居


御朱印


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.252-253

改訂記録
  • 令和06.03.23 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)


inserted by FC2 system