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札幌村神社 (北海道札幌市東区)

参拝日 令和元年5月25日(土)
作成日 令和2年6月27日(土)
追記日 令和6年3月33日(金)
よみ  さっぽろむら じんじゃ  
所在地  札幌市東区北16条東14丁目3番1号 (43度4分59.08秒 141度22分19.90秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 札幌村神社
・Wikipedia:札幌村神社
祭神  大國魂神(おおくにたまのかみ)
 大己貴神(おおなむちのかみ)
 少彦名神(すくなひこなのかみ)
由緒  元 無格社
 北海道神社庁誌にはつぎのやうに載ってゐる(1)
由緒  明治二十二年創立(創立の際、札幌神社と名称を附けむとせるも官幣大社と同称なるを以て許可ならず、村を附せり、とある)。明治二十三年十一月一日創祀、一村の氏神として崇敬する為、村民一同協議の上、明治三十四年九月出願同年許可される。明治三十四年石狩国札幌郡札幌村大字札幌村の地主、高木長四郎が、札幌村神社敷地として、畑地二反一畝二十二歩を寄附。祭神は現北海道神宮(旧官幣大社札幌神社)より、大國魂神、大己貴神、少彦名神の三神を奉斎し札幌村神社と称した。昭和九年四月一日、行政区割変更に依り札幌市に編入。札幌市北十四条東十四丁目二十二番地と変更。昭和四十六年十一月札幌市の区画整理事業により、現在地札幌市東区北十六条東十四丁目四十番地に奉遷す。現在の社殿は昭和五年九月改増。昭和二十一年、宗教法人となる。昭和五十八年四月本務神社となる。(平成八年十月二十八日札幌市の住居表示制度により、札幌市東区北十六条東十四丁目三番一号に変更)
雑記  地下鉄東豊線環状通東駅から西北西へ0.2km、札幌駅からは北西へ2.4kmのところにある。

 「札幌村」については、烈々布神社で次のやうに記した。
 札幌村は慶応二年に大友亀太郎が十二人を伴ひ役宅をたてて村を開いたといふ。明治三年に九十六人が札幌村の近くに居住し、これが札幌新村で、元の札幌村は札幌元村とされ、翌年合併し札幌村となった。明治三十五年には札幌村、雁来村、苗穂村、丘珠村をあわせて札幌村とした。大友は、創成川の基となった大友堀をつくった。
 一方、明治十二年札幌市街は札幌区(開拓使の行政区画)となり、明治三十二年地方自治体の札幌区に、大正十一年市制施行されてゐる。 札幌村の一部が段階的に札幌区または札幌市に編入され、昭和三十年には残る全域が札幌市に合併されてゐる。
 烈々布神社は、村内札幌烈々布、当社は村内元村に創建された。烈々布神社は当社から北へ4km弱の所にある。
 当社の旧地は、現在地の南南東へ100m余の所にあった。今そこは、道路(環状通)になってゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1 拡大 (1280×960)

狛犬:台座には、昭和四十六年十一月二十三日とあり、また「狛犬移転 平成九年八月吉日」とある

鳥居:「奉納 札幌村神社 御造営奉賛会 平成十九年八月」とある


写真2 拡大 (1280×960)


写真3


写真4

左:日露戦役忠魂碑 明治三十九年八月建設、左下の碑は「馬頭観世音 昭和三十年十月廿三日」とある
右:社号標 背面には、年記「昭和四十六年十一月二十三日」と奉納者三名の名がある



写真5 拡大 (510×640)

 書置きのものをいただいてきた。今日の日付が記されてゐるのに感心するとともに、有難いこと。


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.236

改訂記録
  • 令和06.03.22 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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