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手稲神社 (北海道札幌市手稲)
参拝日 令和元年5月25日(土)
作成日 令和2年7月4日(土) 追記日 令和6年3月21日(木) |
ていね じんじゃ
| 札幌市手稲区手稲本町2条3丁目4番28号 (43度7分7.05秒 141度14分26.29秒)
| 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) 参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等
| ・北海道神社庁 北海道の神社 手稲神社
| ・Wikipedia:手稲神社 ・当社 HP 祭神
| 大國魂神(おおくにたまのかみ)
| 大那牟遲神(おおなむぢのかみ) 少彦名神(すくなひこなのかみ) 天照皇大神(あまてらすおおみかみ) 豊受大神(とようけおおかみ) 倉稲魂神(うがのみたまのかみ) 菅原道眞公(すがわらみちざねこう) 元 郷社
| 北海道神社庁誌には次のやうに載ってゐる(1)。
雑記
| 函館本線手稲駅から南西へ0.2km、札幌駅からは西北西へ12kmの所にある。
| 手稲駅の開業は明治13年。昭和27年に現名称に改称されるまでは軽川駅(かるがわえき)で、大正11年から昭和15年には馬力による軽石(がるいし、けいせき)軌道の軽川駅があった。軽石の名は、軽川と石狩を結ぶとして名付られたが花畔までの敷設に留まった。軽川は現在の手稲本町。 手稲村は明治5年開村、昭和26年に町制施行、昭和42年に札幌市に編入されてゐる。 本日の神社巡りは、当社で最後。鉄道で行ける範囲として選んだ六社だったが、夫々特色ある歴史を刻んだ神社だった。それにしても知らないことが多い。多いが、全部知ることは不可能。このやうな機会に多少でも知ったら良いとしよう。 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) |
写真1 拡大 (1280×960) 社頭には、境内整備について掲示(平成31年四月吉日付)されていた。整備の内容は、災害発生時に備え ・作業道路敷設(大型作業車が入れるやうに) ・忠魂碑の小型化と移設(倒壊防止) 社号標は「鎮守 手稲神社」「昭和四拾八年九月吉日建之 (氏名略)」とある 由緒記の碑は、「御鎮座百年記念 平成十一年八月吉日 松井武市」とある。台の背部には「由緒板は昭和四十九年六月三十日 御造営記念として松井武市が奉納したものである」と記されてゐる。 鳥居は「昭和四十八年九月吉日 造営記念 奉納者山口テツコ」とある。 |
写真2 拡大 (1280×960) 二の鳥居は「奉納 昭和十三年九月十五日 松井武市」とある。札幌軟石のやうだ。 |
写真3 拡大 (843×684) 拝殿の写真を撮り忘れ、上の写真から拝殿部分を拡大。 狛犬は、「昭和四十一年七月吉日 千葉鶴吉」とあり、「札幌市 中田石材工業 謹作」 |
写真4 拡大 (1280×960) 牛馬塔 と 月山神社碑、碑の後ろは御本殿 牛馬塔:昭和十一年八月建設、台にはめ込まれた石には「前田農事組合解散に当り原野拓きし先人の思いを伝え牛馬魂へ慰霊の誠を捧げ之を改修す 平成二十年七月吉日」とある。前田農場は加賀藩主前田家15代利嗣侯が拓いた農場。明治41年には2006haの広さがあったと云ふ。 月山神社碑:碑には神社名の他「願主 千葉豊治 大正六年五月三日」とある。背面に碑誌が刻まれてゐる。「碑誌 此の碑は明治四十年四月父豊治渡道するに當り出羽三山大神に開拓の成功と家内安全を祈願して出発 後大正六年古郷の地岩手県陸中国西磐井郡老松村男沢 鎮座村社豊隆神社境内に建立せしを本年父の十三回忌を祈念して此の地に移す 維持 昭和五十一年五月十六日 千葉鶴吉 千葉恵造 康孝 建之」とある。また、「えぞ山桜献木者 昭和五十一年五月十五日 千葉亀壽殿」との木柱がある。信心の深いご家族だ。 |
写真5 拡大 (1280×960) 碑手前の碑誌には手稲町殉國戦死者之霊 として二百名弱の氏名が刻まれてゐる。碑の背面には「大正七年七月三日建・・」「全國在郷軍人會□分會」とあり、また、紀元二千六百年記念と題した碑誌が忠魂碑に接するやうに建てられてゐる。故人15名の階級と氏名が刻まれてゐる。碑前の碑誌にも刻まれてゐる(一部の照合ではあるが) |
写真6 拡大 (1280×960) 奥宮遙拝所、藤白龍神社 |
写真7 手稲山 標高1023m。奥宮がある。電波塔も林立してゐる。 |
御朱印 拡大 (458×640) |
出典・脚注
改訂記録
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